私は、教職を取らない。(領域選択覚書3)
そろそろどの領域に進むか発表したいところ。
でもまだ自分の中で納得できてない部分があるので(え?)
先にこちらから書きます。
私は、教職を取りません。
教職を取りたかった
前々前々から言っているように、私は中学三年生の時からずっと、広島大学で理科の教員免許を取ることにすごくこだわってた。
理由はここで割とがっつり書いていた。らしい。
どんな時も広島大学っていうところがブレなかったのは、こうやっていろんな人とのかかわりの中で生まれた夢だったから。
教職を取りたかった、というより、教職をとるという選択肢しか見えていなかった。
ビジネスという面からエンパワメントをしてみたい
それなのに、大学に入った瞬間、その思いがしぼんでしまった。
理由は大きく分けて3つかな、と思う。
ひとつめは、興味が変わったこと。
前提として、エンパワメントに興味がある、という部分は変わっていない。
エンパワメントっていうとあんまり伝わらないかもしれないけどね、
なんていうのかな、みんなが「自分がこれやりたい!」っていうことをやれるような環境を整えるようなことがしたい。
私は今まで、ずっと自分のやりたいことを追いかけることができる環境にいて、でもそれは当たり前じゃなくて。
だから、今度は私がそういう環境づくりのお手伝いをしたい、という感じ。
入学前は、「教育」とか「途上国の開発支援」とか、そういうアンテナを立てて、そこに引っかかったものだけを見てそれだけを追いかけていた。
子供たちが、自分の望む未来を掴むためのお手伝いを。
そういう考えが私の中に結構あって、そのためにどうしたらいいか、みたいな。
でも入学してから、いろんなものが見えるようになった。
その中でだんだん、教育というものから自分の心が離れていってしまった。
それを一番実感したのは、教育×途上国の会社?のインターン説明会を受けたこと。
実は高校生の時から興味があった。
でも、説明を聞いても全然心が動かなかった。
採用されて現地に行った自分を想像しても、全然ワクワクしなかった。
このとき、今の私は「教育」というところから心が離れてるんだな、ということを感じた。
あと、自分がビジネスってとこに惹かれた理由は、ベトナムステディツアーの際おこなった、新規事業立案大会。
そこでは「ベトナム中部に観光客を呼ぶ」というお題でビジネス案を出そうね、みたいなことをした。
私は「映えツアー」なるものを企画し、優勝した(おめでとう自分!)。
その副賞として、ベトナムの往復航空券と「実際にやってみま賞」をいただいた。
今は、2人のベトナム人の大人の方と一緒にゆるーく活動している。
これは後の、「自分のアイデアは自分で実現させたい」にもつながってる話。
「映えツアーに挑戦する」ってのは、自分の中で結構攻めの選択。
でも、「エンパワメント」ってところはブレてない。
このツアーでは、案内役として、地元の日本語のしゃべれる女の子たちを採用する。
ベトナムで、「日本語を勉強しても結局都心へ出ていかないといけない、でも私は地元が好きで、できたら地元で働きたいの」という話を聞いた。
だったら、日本語を使って働ける環境を創ったらいいんじゃん?と思った。
これって、エンパワメントの考えで。
一回「教育」という分野を離れて「エンパワメント」というものと向き合いたい、という思いは確かだし、教職を取らないという決断の大きな要因でもある。
一度振り切ってみることにした
ここに書いてあった言葉。
「なんで「これが自分のやりたいことかも」っていうのがわかってて、それを試してみる環境もあるのに、一歩を踏み出さないんだろう?
それ違くない?」
これに尽きると思う。
本当に、一度でいいから本当にやってみたいことだけをやる生活を送ってみたい。
そう思ったのは、大きく3つの出来事から。
意識高い系不真面目さんの影響
私の友達は、意識高い系不真面目で、授業をさぼって興味のある講演会へ行ったりなんかしている。
それを見ていた私はずっと、あこがれ半分、嫉妬半分だった。
それは、そこまでして興味のあることを追いかけれるっていうことに対してのあこがれと、自分の興味の赴くままに行動できることに対する嫉妬。
私もそうやって、自分の「やりたい」にもっと素直になってみたい。
意識高い系不真面目さんが不真面目さを発揮するたびにそんなことを思っていた。
友人からの助言
そんなあこがれと嫉妬でぐちゃぐちゃとしていた時、中学時代からの友人からこんな言葉をもらった。
「結局あれもこれもと手を出していたら、すべて中途半端になってしまうのでは?」
確かに、と思った。
選択肢が2つあったとき、私はいつも大変そうに見える方を選択してきた。
その方が何かを得られるのではないかと思ったから。
でもそれは違う。
そうやって自分の首を絞めて、本当にやりたいことをやる余裕を失ってしまっているのだとしたら?
私が「自分のやりたいことを100%の力でやりきれていない…」と思う原因は、自分に合ったのだと気づいた。
自分のアイデアは自分で実現させたい
実は、さっき書いたベトナムスタディツアーは、ここに書いてあることを実現させるために参加していた。
ベトナム側の協力校を視察したかった。
でもそこで、思わぬチャンス(映えツアー実現できるよ!っていう)が舞い込んできた。
その時、この街づくりの案はどうしようか、という話になった。
私は結局、映えツアーに力を入れることにした。
正直、悔しかった。
自分が思いついたことが、自分の手の離れた場所で実現されてしまうというのが、悔しくてたまらなかった。
だったらせめて、映えツアーは自分の手で実現までもっていきたい。
成功するかしないかに関わらず、自分の手で。
この悔しさが、私を突き動かす思いのひとつなのかもしれない。
過去の自分を許そう
あとは、私自身、もう過去の自分を許してあげよう、と思えたのも大きい。
ここに書く話は、私にしかわからないことかもしれない。
でも、過去の自分を許そうと思えなければ、私はきっと教職を取らない、という選択をできなかったと思う。
私はずっと理科の教職を広島大学でとるんだ、という義務感を抱いていた。
それが、恩返しというか、それをすることで初めて私はあの過去と向き合ったことになるのではないかと思っていた。
でもそれは違う。
私のせいで先生がいなくなってしまったわけではない。
私が理科の先生になって、先生の後を追いかけることなんてしなくてもよい。
のだと思う。
先生の理想に共感したのは事実。
でも、その実現の仕方は先生と同じじゃなくてもいいじゃん、と思う。
それに、その理想をそのまま再現する必要もない。
私は、先生の理想を参考にして、私なりに「こういう世界になったらいいなぁ」って思ったものを追いかけていけばいいんだと。
今更気づいた。
これ、大学受験前に気づいたら、私はきっと広島大学を受験しなかったと思う。
だから私は教職を取らない
- 興味の変化
- やりたいことをおもいっきりやってみたい
- 過去を受け入れ自分を許せた
こんな理由で、私は教職を取らない。
この選択によって、教職を取っていたら選ぶことができたであろう道が何個か消えてしまったかもしれない。
それはちょっと怖い。
でも、私は今の自分に正直でいたい。
今の自分がやりたいことを思いっきりやってみたい。
専門知識を得ること、資格を取ること。
高い学費を払って4年間という時間をいただいて、そういう意味のあることをすればいいのに、どうして成功するかもわからないことにかけるのだろう。
今もそういう思いにとらわれてしまう時がある。
実際、「教職をやめよう!」という選択をするたびに、未来の自分がいろいろささやいてきた。
「本当に後悔しないのか?」
「将来教師になりたいと思ったときどうするんだ?」
「自分のやりたいことをしたいとか言ってるけど、結局のところ努力することから逃げてるんじゃないか?」
そのたびに、やっぱり教職もとるべきなんじゃないかと考えて苦しくなって。
でも、多分未来の自分は私に覚悟を決めさせたかったんだろうって思う。
後悔するだろう、だからやめておけ。
ではなくて。
後悔するかもしれない、それでもいいって思えるなら、自分の信じた道を行けばいい。
きっと優柔不断で弱い私を奮い立たせてくれようとしていたのだろう。
私は挑戦してみたい。
一度だけでいい、どこまでやれるか試してみたい。
きっと挫折するだろうしめっちゃ泣いてしまうだろうし、きっといいことばっかじゃない。
それでもかまわない。
私はやる。
多分これからね、一回は思うと思う。
どうしてあのとき教職を取らないっていう選択をしたんだろう、と。
でもそんなときは、この文章を読み返そうと思う。
「あの時の自分は精一杯考えていたんだな」
未来の自分にそう思ってもらえたら、それ以上の喜びはない。
追記
11月、久しぶりにブログ記事をぼちぼち更新していたら、1000PVを達成したとのこと。
今月は更新したといっても、10個も文章書けていないので、本当にうれしい気持ちでいっぱいです。
いつも読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
これからも私の成長を温かい目で見守っていただけると幸いです。