無題
また、いつにもまして迷っている。
小学校2年生の時からずっと「教師になる!」と言っていた。
「学校の先生」ではなく「教師」などというところにかわいげのなさを感じるけれど。
ずっとブレずにやっていたつもりだった。
けどそれは、ただ立ち止まって悩むのが嫌だから、目を背けて走っていたのかもしれない。
本当は中身なんかぐしゃぐしゃで、どこから手を付けていいかわからなかったんだって思う。
この一週間、何回も同じやり取りをした。
「結局教員免許はとるの?」
『一応…』
「何の教科?」
『今のところ理科を…』
「じゃあ、将来は理科の教員になるの?」
『いえ、そういうわけでは…』
最後に残る、ちょっと微妙な空気と、よくわからないものを見るような目線。
ここまでで、1セット。
このやり取りをしない日はなかった。
広島大学に来て、理科の教員免許を取る。
それは、中学3年生の時からの悲願だった。
私の人生の中で何より優先されるべきことだった。
それを目指しているうちは、やるべきことをやれている、と思えたし、
これを達成したとき、私はなにかから許しをもらえるんじゃないかとさえ思ってしまうほど。
私にとって本当にすべてだった。
でも、新しいことを経験するたびに、何か面白いものに出会うたびに、何か違うんじゃないか、と思っていた。
やりたいことと、ちょっとずれているような、気持ち悪い感覚。
ちょっとずつ、自分のやりたいことの輪郭が見えてきた。
いや、違うな。
真っ暗闇の中で、ちょっと面白そうに点滅してる光を見つけた、みたいな感覚。
そこが出口かわからないけれど、兎に角なんか面白そう。
でもその光を追いかけるってことは、暗闇から抜けてしまう、ということかもしれなくて、つまりそれは。
今まであんなにこだわっていたものを捨ててもいいのか。
私は、この興味を追いかけていいのか、
全くわからない。
誰もこの問いかけにこたえることはできない、
きっと誰がどれだけ「あなたはあなたの好きなことをやればいい」といったって、私は満足できないし、納得もできない。
私はずっと「広島大学に行って理科の教員免許を取る」という目標をくれた人に、こうやって言ってもらいたいんだと思う。
「それでいいんだよ、自分の好きな道に進んでみなさい」って。
それはもう絶対できないから、私が私にその言葉をかけてあげなきゃいけないんだけどね。
私は弱いから、それができない。
ああもどかしい。
まずはちゃんと、その道に進んでも大丈夫なんだよって視覚化しよう。
大学4年間の時間割を組んでみる。
行けるって思ったら、私は私になろう。