国立大AOで入ったら

AOで大学へ入学したら、その後の人生どうなるか?

3年後、私の母校に通う生徒の20%が「私にはやりたいことをやる力がある!」と叫べるようになるために(前編)

 今日は久しぶりに、どうでもよくないことを書きます。

それは、タイトル通り、

「3年後、私の母校に通う生徒の20%が『私にはやりたいことをやる力がある!』と本気で言えるために私がやること」を書くからです。

今までのベトナム企画の、大・方向転換地点だと思っています。

長くなったから、全編と後編に分けました。

まだ、自分の中でも、真っ暗なトンネルの中にいるときめっちゃ遠くから見える出口からの光って感じで、うまくつかみきれてないところもあるのでぐちゃぐちゃして理解しにくいところもあると思うけれど、ぜひ読んでくれたらうれしいです。

 

[前編目次:contents]

 

やりたいことが変わるってアリ?

やりたいこととちょっと違うかも、という違和感

ベトナム企画について誰かに話すと、以下の指摘を必ず受けるということに気づきました。

  • 手の届くところで満足してるんじゃない?
  • 実現可能性が低いんじゃない?
  • 抽象的過ぎるんじゃない?

で、最近の私はずっと闇モードでした。

だって、「実現可能性が低い」のに「手の届くところで満足してる」って何!?

矛盾してるじゃん!みたいな。

でも、確かにちょっと違うのかも…。

でもでも、こんなにやりたいって叫んでたのに急に方向転換してもいいの?

そうやって悶々と考えていました。

 

 

ホンダケイスケのnoteを読んで

そんな時、Twitterで見つけたのが、本田圭佑さんのnote。

note.mu

私がこれから話すことに関係する部分をかいつまんでまとめると、「会社を設立したけどまだ何もしてないんよね~、でも自己資産めっちゃ使いまくってる、てへぺろ」みたいな感じ笑。

で、その理由は、

「『これはよい!』と思ったけど時間が経って自問自答を繰り返すと『あれ違う』」

ってなったからなんだって。

イデアはころころ変わっていたけど、今も

「(世界中の)誰もが夢を追い続けられる世界を創る」

というミッションを掲げて行動している、と書いてありました。

  

これを読んで私は、「別に今まで言ってきたことが変わってもいいのか」と思えたんだよね。

本当は「私の理想」を叶えるための手段としての「企画」だったのに、いつのまにか企画ありきになっていたんだ。

 だから、企画を完成させるためにどうしても保身に走ってしまうところがあって、

それが結局まわりまわって自分の理想の実現可能性を低くしていたんだ。

 

 

 手の届くところで満足してるから実現可能性が低い

 

で、いろいろ考えた結果、以下のような仮説が浮上しました。それは、

  1. 抽象的過ぎるから目標がブレてて
  2. 何から手を付けていいのかわからず
  3. 実現できそうなことを片っ端からやろうとしているから
  4. 本来実現できそうだった最初の目標の実現可能性まで下げてしまっている

のかな?ということ。

確かに、最初はすっごい理想実現するぞー!って意気込んでたけど、

最近は「このくらいでも仕方ないかな…」って思ってる自分もいて、

だから、ちょっともう一度過去までさかのぼって、自分のやりたいことをちゃんと考え直そう。

そして、妥協できないところをしっかり決めてから、もう一度

今の自分が何をすべきか・これから何をすべきか考えよう。

ということになった。

 

 

 

理想の本質の断片

私の通っていた高校

私が通っていた高校は、いわゆる「底辺校」と言われる場所でした。

地元の公立高校のすべり止めのすべり止め。

勉強や、その他いろんなことがうまくいかなかった人の受け皿。

そんなこんなで、それは、ひどい有様でした。

 

私は中高一貫コースというところに在籍していて、高校からのコースの人たちとは違う校舎にいました。

それでも、放課や昼休みには、別校舎なはずなのに奇声が聞こえてくることもありました。

行事で体育館に集まった時、整列するのに時間もかかるし、

そんな言うことを聞かない生徒に腹を立て、怒鳴る先生の声が響いていました。

 

先生に関するエピソードでいちばん衝撃的だったのは、生徒の前で平然と生徒の悪口を言っていたことです。

最寄駅と学校のピストンバスに朝乗っていた時、すごく静かな車内で、私の近くにいた先生方が

「〇年〇組の○○って生徒マジで感じ悪いですよねw」

「○○は本当に馬鹿だ」

と大声で話しているのを聞いたこともあります。

 

私の母校はそんな、いわゆる底辺校と言われる場所でした。

 

 

真面目な目

私はそのような場所で、高校二年生の文化祭の機会を借りて、フィリピン留学の報告会をしました。

その前の講演を聞いたとき周りを見渡すと、たくさんの生徒が居眠りをしていました。

想像できますか?

体育館いっぱいに生徒が体操座りしていて、その間を先生が歩いてまわって、寝ている生徒の頭を小突くんです。

でも小突かれた生徒もすぐ寝てしまう。

正直、「こんなところでプレゼンしても誰も聞いてくれないんじゃないか」と思いました。

私のいた中高一貫コースは、高校からのコースの生徒とほとんどかかわりがなかったため、プレゼンの最初の自己紹介の時「中高一貫コース5年の」といったとき、少し前のほうで馬鹿にしたように笑っている生徒がいました。

それでも、いざ始まって、導入として「ハゲワシと少女」という写真を見せたとき、みんな静かになり、スクリーンに目を向けてくれました(少なくとも私の目の届く範囲では)

その次の日、活動に関する展示をおこなったところ、プレゼンを聞いて興味を持ったと、たくさんの生徒が来てくれました。

この経験から、対等な立場から真剣に語ってくれる誰かが、目を外に向けるための機会を提供すれば、問題意識がなかったとしても、少し視野を広げて目を向けてくれるのではないか?と思いました。

 

 

 

結局私の理想は何なのか

上のことが、多分私がボトムに可能性を感じた一番の体験かなと思う。

他にも、いろいろ自分の悔しかった経験とかを思い出して、3つの大きな理想と、7つの小さな理想(大きな理想を叶えるための理想)を作ってみた。

 

3つの大きな理想

  1. 自分が今いる世界の外に目を向ける余裕がなかったり、勇気がなかったり、興味がなかったりする人たちに機会を提供する
  2. 能力のある人たちのところにばかり良いものが提供される世の中を変える
  3. 1人も見捨てることなく全員が笑顔になれるような環境にする

7つの小さな理想

  1. 自分なんて…と思うのはつらい。自分にも何かできる、とか、他人にはないものを持ってるんだと思えるような体験を提供する。
  2. 年齢とか性別とか、変えられないものを理由に優劣をつけられるのは嫌。すべての人が対等に話すことができるような場を作る。
  3. 無駄なことは一つもない、すべてのことに意味があった・あると信じられる強さを育てられるような機会を提供する。
  4. 自分の意見を聞いてくれる人や、自分を見てくれている人はいると感じられるような環境にする。
  5. 自分の好きなことを気軽に発信できるような場をつくる。
  6. 自分も、自分の身の回りの世界を変えてゆけるという実感を持てるような体験を提供する。
  7. どうせできないから…とあきらめるのは嫌。そんな姿は見たくない。ワクワクを大切にできる環境をつくる。

 

 

そしてできた大目標

上の、3つの大きな理想と、7つの小さな理想を掛け合わせて、私は以下のような中期目標を立ててみた。

3年後、私の母校に通う生徒の20%が「私にはやりたいことをやる力がある!」と叫べるようになる

 

3年後っていうのは、私の妹があと3年で高校を卒業するから。

私の妹には、「いい高校生活だったな!」って思ってほしい。

だから、自分のめっちゃ大事な人がいるうちに、なんとか変えたい。

そして、大半の人が思っているである疑問。

  1. なぜに20%?
  2. 私にはやりたいことをやる力があるって叫ぶって、また抽象的すぎない?

そう、だからなぜこのような数値にしたか、謳い文句にしたか、これから説明します。

 

 

 

挑戦できない理由の分析

行動に移せない理由

私は、みんなが「やりたい」って思ったことに向かっている姿が好き。

必死な横顔も、それを達成したときの笑顔も好き。

でも、私もそうだけど、いつでも前を向いて「よし、やるぞー!」ってなるわけじゃない。

なんでだろう?

私は自分の経験をもとに、理由を思いつくだけ書いてみた。

  1. そもそも今を生きることに精一杯で、明日のことなんて考えていられない
  2. 考えるのが面倒くさい
  3. やりたいことがわからない
  4. 達成した・成功した自分を想像できない
  5. 実現するための手段がわからない
  6. 失敗するのが怖い

これは、数字が増えれば増えるほど、「行動に移す」っていう決定に近づいてるってことを表したかったからこの順番で書いた。

 

正直、1番に当てはまってるときは「行動しよう」とか考えない方がいいと思う。

みんなが「やりたいことに向かっている」状況は理想だけれど、自分が明日のことも考えられないような状況の時にそんな理想を語られたときは、本当につらいから。

だからこそ、「考えるのが面倒くさい」の段階で、何とか「やりたいことがわからない」まで引き上げないといけないんだと思うのだけれど。

 

2~5までは、周りの適切なサポートがあれば、何とかなるのだと思う。

でも、このサポートの仕方は、私には勉強不足でよくわからない。

それに、個々によって全然違うと思う。

サッカー選手になるのと、ノーベル賞取るの、確かに共通点はあるのかもしれないけれど、実現するための手段は大きく違くて、

それはもう、アドバイスはしても、最終的に個人に任せるしかないってところがあると思う。

 

じゃあ、6番目の「失敗するのが怖い」はどうだろう。

私も、失敗するのが怖くて勇気が出なかったりくよくよしたりすることはある。

でも、失敗が怖くても一歩を踏み出せてしまう時もあるんだよね。

 

この違いは、なんだろう?

 

自己効力感とは

そこで私は、「自己肯定感なのかな?」って思った。

ありのままの自分、失敗してしまうかもしれない自分を受け入れることができたとき、はじめて失敗する怖さを乗り越えて実行するっていう段階に行けるのかなって。

でも、調べていくうちに、どうも少し違うようだ、ということが分かった。

そして、最終的に「行動に移すかどうか」を決めるのは、「自己効力感」なのだという結論に至った。

自己肯定感と自己効力感は、確かに言葉は似ているけれど全然違くて、

「自己肯定感」は、自分の良いとこも悪いこともひっくるめて「それもじぶんさ、あはは」というイメージ。

「自己効力感」は、「自分は、自分のやりたいことを実行していく能力があるのだ!」と自分を信じられる気持ち、みたいなイメージ。

 

さらに調べていくと、2つの「期待」が大きくなった時、人は行動を起こすらしいということが分かった。

1つ目は、「結果期待」というもの。これは、簡単に言うと「この行動をすれば、こんな(私の望んでいる)結果が得られるのね!」というもの。

2つ目は、「効果期待」というもの。これは簡単に言うと「私は、自分が望んでいる結果を得るために必要な行動を実行して成功させることができる」というもの。

 

じゃあ、「これやればいいんだろうな」ってわかっている状況なのだとしたら、あとは「私はきっとそれを成功させれる」って思えればいいのよね。

 

じゃあ、どうしたらそんな風に思えるの?

 

そう、それよね、そこから先は後編に書く。

明日、出しますね。

 

ではまた。