理想論
今、きっとこれからの自分の在り方を決める本当に大事な期間なのだと思う。
それは、決して判断を誤ってはいけないとか、そういう意味ではなくて。
自分が心からやりたいと思っていることは何なんだろう?という問いから逃げないとか、
自分が今やりたいと思ってることはこれだ!と宣言する勇気を大事にするとか、
きっとそういうこと。
誰のために文章を書くのか。
これは、最近すごく考えている。
私は、誰か、迷っている人の背中をポンと押せるような文章を書きたい。
その思いは、ブログを始めたころから変わらない。
でも、本当は自分が一番背中を押してほしいし、自分が一番自分で書いた文章に背中を押されている。
自分のブログが誰かの役に立っているのかはわからない。
でも、過去の自分が迷いながら紡いだ言葉は、いまだに悩み多き自分の背中を押してくれるもの。
だったら、もしかしたら。
この言葉は、私と同じ境遇の人の背中を押してくれるものなのではないか。
悩んでる自分が、悩んでる人の背中を押す。
そんなこと夢物語なのかもしれない。
でも、挑戦してみたいと思う。
悩んでる自分だからこそ、紡げる言葉がある。
悩んでる自分だからこそ、見れる世界がある。
私は、そう信じてみたいんだ。
私の尊敬している先生が、ずっと「一人も見捨てない」と言っていた。
私もそれを理想に掲げた。
どうやってやるのかがわからなかった。
1人も見捨てない、の1人目は自分である、と誰かが言った。
1人目を見捨てたら、きっと2人目、3人目、と見捨てていくことになる。
だから誰も見捨ててはいけないのだと、先生は語っていた。
そう、1人目は自分でいいのだ。
一番最初に救われるのは、自分でいいのだ、きっと。
自分によって自分を救ってあげる。
それができて初めて、きっと誰かの背中をポンと叩けるようになるのだろう。
自分のために文章を書き続けること。
これが、私なりの「一人も見捨てない」方法なのかもしれない。
だからやっぱり、自分はブログを続けたい。
1人でも多くの人に、悩みながらも自分を救おうと必死になっている私の姿を見てもらいたい。
本当に、心からそう思う。
正しいかは、わからないけれど。
またね。