私のハッピー
私は、自分で自分のやりたいことを選んで、それをやってる!って実感できた時、「ああ私は今ハッピーだ」って思うらしい。
でもよく「これは本当に私のやりたいことなのかな」って悩む。
そういう時は、ちょっとハッピーじゃない気持ちになる。
傍からいると、だいぶ病んでる人に見えると思う。
小さい時から、私の周りには私の意見を尊重してくれる人がたくさんいた。
言わなきゃわからないよ、とよく親に言われていたから、たくさん自分が思っていることを言えるようになった気がする。
自分でちゃんと「これがやりたい」って言えたら、それをやらせてもらえてたな、と今振り返って思う。
この一年間、悩んだらこの人に相談する!って決めてる人がいて、その人にいつも言われることがある。
「自分がハッピーになるようにすればいいんだよ。」
散々言われたから、ハッピーという言葉にすごく敏感になった。
この一年は、自分のハッピーって何だろうなぁと考える1年だった気もする。
大学一年振り返って、調子の良かった時はやっぱり今幸せだなと感じているときで、それはやっぱり自分のやりたいことをやっていた時だったと思う。
ちょっと違うな。
今、その瞬間自分が一番やってみたいって思ったことをきちんとできていると自分が感じられていた時。
まず、やりたいかやりたくないか、より、やってみたい、なんだよな。
自分が本当にやりたいことかはわからないけれど、今一番興味があってやってみたいこと。
やってみた結果、本当にやりたかったことだ!ってなるのかは別として、今この瞬間すっごくやりたいって思っていること。
それをやってみることができるっていうところに、すごく幸せを感じるんだな。
次に、そのやってみたいと思っていることにきちんと挑戦できてるって、自分を認めてあげれているときに幸せを感じるかな。
やってみたいことがあるのにそれにうまく挑戦できていないなって自分が感じたら、たとえやってみたいことが明確になっていてもモヤモヤしてしまう。
ハッピーじゃなくなってしまう。
じゃあ次に考えなければいけないことは、私は幸せになるために何をしなきゃいけないかっていうこと。
毎日毎時間なるべくこまめに「今やっていることは本当にやってみたいこと?」って自分自身に聞くこと。
100%の「そうだよ!」が言えること。
それをやれる環境を自分で整えること。
その中に飛び込む勇気を持つこと。
やっぱり私はたくさん考えたいな、と思った。
今何やってるんだろう、何をやってみたいんだろう、そういう疑問から逃げない人でありたいのです。
今まで 逃げずに向き合い続けれているということが、私の誇り。
だから、これからもずっとそれを誇れるように、自分のことは自分で決めていきたい。
何言いたいんだっけな。
ずっと劣等感から逃げられずにいたけど、それは「他人にとってのハッピーの形=自分にとってのハッピーの形」だと思っていたからかもしれない。ハッピーの形なんて人それぞれなんだから、自分なりに「こうしてたら自分はハッピーだなぁ」っていうのを見つけるしかないんでしょうね。
— Reina (@R52713521) 2020年3月16日
「やってみたい」という感情だけを抱えてベトナムに来て、今私の中にある感情も多分それだけで、だからそれは全然すごくないんです。ただ、自分の興味の赴くままに。そんなんでいいのかな?と思うけれど、そう生きるのが私にとってのハッピーなんじゃないかな。
— Reina (@R52713521) 2020年3月16日