国立大AOで入ったら

AOで大学へ入学したら、その後の人生どうなるか?

時間の使い方なんて人それぞれなんだからさ

昨日ふと考えたことがあったので、ここに書く。

それは、時間の使い方。

きっかけは、昨日遊び(班活?)に誘われたこと。

  

私は、まず自分の理想を叶えるための活動に時間を使いたい。

協力してくれる人とお話をしたり、自分で調べ物をしたりする時間。

これは、すごくエネルギーを使うけれど、楽しい時間。

 

次に、自分一人で過ごす時間が欲しい。

自分と向き合う時間。

ボーっとして、なんかいいアイデア浮かばないかなぁってする時間。

これは、一週間に一日は必ず取るって決めてる。

例えば日曜日に上で言うような活動をするとしたら、土曜日は誰とも会わない日って決めてる。

その日は、ほかの人から見たら予定のない日なのかもしれないけれど、

私にとってはとても大事な予定が入っている日。

だから、誰が何と言おうと、この予定を動かすことはない。

 

で、最後に、もしゆとりがあるのだとしたら、誰かと一緒に何かしたい。

誰かっていうのは、気の置けない人でも、全く話したことない人と会うのも良いな。

自分の夢とかに全く関係ないことをして過ごす時間。

わいわいはしゃぐのもありだし、しずか~なところでまったり過ごしてもいい。

班活してもいいし、電話するのもいいし、まあ、学食でご飯一緒に食べるとかでも。

とにかくそういうのは、全部ここに入る。

 

だから、遊びに誘ってもらったとき、私は3番目の時間はどこにあるかな~って探す。

で、なかったら「ごめんなさい」っていう。

 

最初、入学したときは、正直3番目の時間が一番必要ないと思ってた。

その時間を1番目の時間に回そうって。

でも最近、ゆかたまつりとかに参加して3番目の時間って大事だな、と思った。

話したことのない人と話すのは、すごく自分の世界を広げてくれるのだと。

それに、昨日気の置けない人と全く生産性のない雑談をしていて気づいたけれど、

本当に楽しい。

嫌なことも全部忘れて、また頑張ろうってなれる。

 

まあ、そんなこんなで、どうしたら3番の時間を増やせるのかなぁと考えてみることにした。

私は絶対に、1番の時間は削りたくない。

だから、2番目の時間を減らそう、と考えた。

でも今はちょっと、抵抗がある。

 だけどそれじゃ前に進まないから、考えてみた。

 

そもそも、1人でいる時間って言っても、2種類あるんじゃないかな、と思った。

ひとつめは、さっきも言ったように、ボーっとして何かいいアイデア浮かばないかなぁってする時間。

これは、絶対に減らしたくない。

ふたつめは、疲れた自分を徹底的に甘やかす時間。

例えば、ただ弾きたいから弾く、とかじゃなくて、

むしゃくしゃしてるからピアノを力任せに弾きまくる時間。

なんか疲れてて、1人になる時間。

ここは、減らせるのでは?と私は考えた。

というか、むしろ減らした方がよいな、と考えた

 

じゃあ、どうやったらむしゃくしゃせず、疲れず、過ごすことができるんだろう?

 

結局、自分の時間の使い方をきちんと守り切るってことに尽きるんだと思う。

 誰かに合わせて自分の時間の使い方をゆがませて、その先に何か得られるものがあるのかな?

私はないと思う。

ここからは踏み込まないでほしい、自分で決めさせてほしい、という線を明確に引いておくことは義務だとすら思う。

相手に、「今自分と一緒にいても大丈夫かな?つらくないかな?無理してないかな?」と思わせないために。

 

そう、これはある人と話して気づいたこと。

私が、話したいけど話したいっていったら迷惑なんじゃないか、相手の時間を奪ってしまうのではないか、と不安になっていた時、

「そういうことは別に言ってくれていいから。無理だったら無理っていうし。」って言われてすごく楽になった。

自分の時間の使い方を譲らないって、自己中心ってことじゃない。

相手に余計な心配をさせないための義務なんだと気づいた。

 

私も、こんな素敵な時間の使い方、相手への思いやりができたらいいな、と思った。

 

私には、わたしなりの時間の使い方がある。

それは、自分のやりたいことをやるための時間と一人でボーっと考える時間を確保して、その残りの時間で大好きな人たちと一緒に過ごせたらいいな、というもの。

同じように、誰かにもまた、誰かなりの時間の使い方があるのだと思う。

私は、お互いがお互いにその時間の使い方に関する価値観を尊重できたらいいのに、と思う。

そしてなるべくなら、私は私の時間の使い方に関する価値観をわかってくれる人、わかってもらえなかったとしても、尊重してくれる人と付き合っていきたい。

きっと世界は広いから、そういう人は必ずいる。

だから焦る必要はない、と思う。

 

こういうことを考えるたびにいつも思い出すのが、ピアノの先生の言葉で、

「必ずどこかにあなたをわかってくれる人がいるんだから、そんな人が一人いればいいんだから」というもの。

 

べつに、大勢に理解されなくても良い。

ただ1人でも理解してくれる人がいるのだとしたら、

私はその人にすっごく感謝しながら、その人と一緒に自分の時間をどう使うか考えていけばいいんだ。

それが、私が思う理想の時間の使い方かな。

 

あ、だからたくさん誘ってください。

無理な時はきちんと伝えるし、時間が空いてたら全力で楽しみに行くので。

 

ではまたね!