昔書いた記事1
誰かに話を聞いてほしい。
そう思って、高校の同級生に電話をかけた。
夜の11時。
アポなし電話だったのに、高校のときと変わらないまんまで優しくていっぱい聞いてくれた。
少しだけ落ち着いた。
話を聞いてもらうと、少し心が軽くなる。
話してる途中に「あ、私こんなこと考えてたんだ」ってなる。
話したことをもう一度振り返って、
あの時私はこういう言葉を選んだらもっと伝わってたのかなとか、
本当はそっちじゃなくてこっちの出来事話したかったなとか考える。
自分のこだわりがどこにあるのか、それは自分の話してる内容を振り返ればすぐわかる。
私は人と話すことで、人を鏡にして自分と向き合ってるんだと思う。
いつからだろう、こんなに憶病になったのは。
小学生の時は怖いものなんて何もなくて、知らないことを知るのが楽しくて、できないことができるようになったら嬉しくて。
それなのにいつからか、私には何もないだとか、周りより劣っているだとか、そういうことばかり考えるようになった。
今までは、常に挑戦するものを探していた気がする。
手が届かないだろうといわれているものに挑戦するのが楽しかった。
自分が今持っている力を上回るものに立ち向かう自分に酔っていたのかもしれない。
でも、それってすごく幸せなことだった。
周りの声も評価も関係ない。
自分は自分だ。
自分のやることは自分で決める。
一度決めたら諦めない。
そうやって、自分と戦っていくことが好きだったんだと思う。
周りの人をぎゃふんといわせたい欲もあったけど。
今は、自分じゃなくて周りと戦っている気がする。
自分と戦っていた時は、失敗なんてあまり怖くなかった。
なにくそもう一回チャレンジだ自分を越えてやる、とむしろやる気の源のような。
だけど、周りの目が気になるから、失敗が怖くなった。
今、大学つまらないなとか考えてるけど、多分問題の本質はそこじゃない。
怖いんだ。
大学で学んでいくのが。
学んでいく中で自分の限界を見ることになるのが怖いんだ。
私はこんな人間だった、ということではなくて、私は今こう言う人間だ、ということが書きたい。
私はこんなことに挑戦していた、ということではなくて、私は今こんなことに挑戦している、ということが書きたい。
私は今までこう思っていた、ということではなくて、私は今こういうことを思っている、ということが書きたい。
過去やってきたことにすがるのではなく、今やっていることを自慢できる人になりたい。
これからやることを自慢できる人になりたい。
他人との勝負に勝った、という経験なんて、結局全然自信にならないのかもしれないな。
他人に褒められただとかそういうことで自信を得た瞬間、次挑戦するのが怖くなるんだ。
次ほめられなかったらどうしようって。
でも自分との勝負に勝った、という経験は、一生自分のこと支えてくれる。
あの時越えれたんだから。
そう思えたら、きっと私は強くなれるんだろう。
…という文章を書いていたらしいです。
なるほど。
今の私は、自分と闘ってる気がします。
だから楽しいのかー。
またね。