すごいかすごくないか、それより楽しいか。
「すごいねぇ」って言われるのが好きで、そのために頑張っていた時期があった。
中学校の時検定を頑張っていたのは、卒業式の時に症状をもらうためだったし、
勉強頑張っていたのも、きっとすごいねぇって言われたかったからだと思う。
負けず嫌いな自分は、すごいねって言われるとすっごくうれしかったんだなぁ。
少したって、すごいねぇって言われるともやもやするようになった。
褒められてるのは嬉しいのに。
それだけで自分のことを評価されているんじゃないかなぁと思うようになった。
それから、すごいねぇには共感の気持ちがないのだと思った。
すごいねぇ、の後、相手の気持ちがプラスの方向に動くことはあまりないっていうことを知った。
すごいねぇ、の後には、やっかみや嫉妬や、なんかそういうどす黒い何かが残るか、無関心っていう一番悲しいものが残るんだろうと思うようになった。
それから、すごいねぇって言われるのが少しだけ嫌になった。
今は、2種類のすごいねぇがあるんだって思ってる。
ひとつ目は、さっき言ったみたいな、どす黒い、すごいねぇっていうやつ。
もうひとつは、良い「すごいねぇ」で、この存在は最近知ったの。
「すごいねぇ」って、自分に向かって自分で使うと楽しくなれるんだなぁって。
今日は、こんな「すごいねぇ」、を使ってみた。
例えば、
公告最後まで作れてすごいねぇ、とか。
英語でメール書いててすごいねぇ、とか。
Googleカレンダー使えるようになってすごいねぇ、とか。
自分のことを認められてるって思えるからだと思う。
自分に向かって「すごいねぇ」が使える人は、自分のことをちゃんと認められている人なんだと思う。
自分のことを認められるようになると、楽しくなってくるのだと思う。
だから私は、私を楽しませるために「すごいねぇ」を使いたいなぁと思う。
残念なのは、他人には「すごいねぇ」の魔法が使えないってことだ。
だって、他人が自分のことを認めてくれているのと、自分が自分を認めているっていうのは、やっぱり違うから。
他人からもらったすごいねぇは、一瞬楽しくなるかもしれないけど、ずっとは楽しい気持ちにさせてくれない。
もっと欲しくなって、そのためにどんどん自分がなくなって、どんどんどんどん苦しくなって、最後には「すごいねぇ」って言葉を嫌いになってしまうと思うな。
私みたいにね。
だからね、自分に魔法をかけれるのは自分だけなんだよ。
結局ね、自分が変わるしかないんだね。
私は変われるかなー、きっと変われるね。
ずっと同じではいられないもんね。
ああ、明日も楽しもうっと。
またね!