自分を高みへ連れていく方法
ここより一段上から今いる場所を見てみたい。
そんな思いが、いつも私を高みへ連れて行ってくれる。
成長するには一種のあきらめが必要なのかもしれない。
諦めというより、受け入れること。
自分が今どこにいるのか、ということを受け入れる勇気が。
だからこそ、私を成長させてくれる人は、今私がどの位置にいるのか、正確に教えてくれる人。
私が今こんな位置にいるということを、受け入れるお手伝いをしてくれる人。
そう考えると、成長って、結局自分でするもんなんだよな。
いくら環境が整えられていたとしても、自分の考え方がゆがんでいたら成長はできないわけで。
成長っていうのは、自分の思考のゆがみに気づくこと、これに尽きるのだと思う。
ブログを通して自分が失敗しながらも挑戦し続けるところを発信したい。
その結果、挑戦するのも悪くないかもな、と呼んでくれた人に思ってもらいたい。
これは、ブログを始めたとき一番思っていたことで、それは今も変わらない。
でも。
相手がいつのまにか成長していた。
その事実を知った時、「よっしゃやってやるぞ!」となるばっかではないんだなと、自分が鬱っぽくなって知った。
その事実が自分を追い詰めて、苦しくなって、できるはずの努力すら放棄してしまいたくなることもあるということを知った。
だから、自分はそういう励まし方というか、そういう人とのかかわり方はしたくないなと思う。
頑張っている姿、がむしゃらに足搔く姿が人を動かすのは、事実。
でもそれだけじゃあ、私のその目標は達成されないのだな。
自分がどんな思考をその都度していて、その結果どのような変化が起きて、いまどのような在り方をしているのか。
それを見える形にするっていうのが、一番のエンパワメントなのかもしれない。
またね。