国立大AOで入ったら

AOで大学へ入学したら、その後の人生どうなるか?

改めて、どうして私はブログを書くのか

 

個人でやっているブログが、こんなところで紹介されるなんて思ってもみませんでした。

しかも、一緒に並んでいるブログを書いている方は、ずっと私が「すごいなぁ」と思っていた方ばかりだったので、よけいにびっくり。

私個人が毎日過ごしながらふと思ったことをつらつらと書いて、それををこんなふうに思いながら読んでくれる人もいるんだ、ってすごくうれしくなりました。

 

 

「誰かをワクワクさせること、挑戦するっていいなって思ってもらうこと」

これが原点だったな、それを改めて思い出せた。

ずっと文章を書いていると、どうしてもその日あったことの日記みたいになってしまうし、最近特にその傾向が強かったな、と思う。

でも、やっぱそこは、ぶれちゃだめだよな。

 

折角、あのつらかった(?)入試を乗り越えて大学生になって、安くはない学費を払って、4年間っていう時間を手に入れたのに、何もしないんじゃもったいないって思う。

絶対に今しかできないことはあるし、同じ経験をするにしたって、大学生だからこそ感じることができる何かって絶対ある。

それを、「挑戦する勇気が出なかったから」という理由で手放してしまうのだとしたら、それはすごくもったいないことじゃないかな、って私は思う。

でも、そんな簡単に「何かしてみよう!」なんてなるわけでもないっていうのも知ってる。

周りの視線が気になったり、失敗したらどうしようってしり込みしたり、そもそも何やりたいかなんてわからなかったり。

だって私もそうだもん。

だから私は、このブログで「それでいいじゃん」って伝えたい。

別にそんな偉そうに言える立場でも何でもないけれど笑。

同じ大学生が、どういうことをしてて、どういう風に感じて、どういうことで悩んで、どういう風に乗り越えてってるか、それを知るだけでちょっと救われる人もいるんじゃないかな。

『ああなーんだ、あいつもあんな失敗してるけど、なんだかんだ生きてるし、むしろちょっと楽しそうだし、自分もなんか好きなことやってみようかなー。』

1人でもそう思ってくれる人がいるなら、私がこうやって文章を書く意味はそこにあるんだろうな。

 

でも、多分ブログを書く一番の理由は、自分のためなのかもしれない。

書いてるうちに、ああ自分今こんなこと言いたかったのか、ってなることがある。

自分と向き合う手段としてのブログなのかもな。

 

あと個人的に、この言葉が一番うれしかったです。

『彼女の文章には自らの心の動きを描写し、それを伝え、他人の心を動かす力がある。』

私言葉遊びするの好きで、自分が今何を考えてるかとかじっくり言語化していくの、得意ではないけど嫌いじゃない(つまり好き)だから、

それを肯定してもらえたことがすごく幸せです。

ありがとうございます。

やっぱり私は、自分が思ったこととか感じたことを自分の言葉でしゃべりたいって思う。

だって、私がどう感じたかなんてことは、私にしかわからないし、他人の言葉で説明できるほど普遍的なものでもないと思うし、

それに何より、「私が」どう感じたか、っていうところに興味を持って、私が書いた文章を読んでくれてるんじゃないかなって思うから。

最近は、もっと早く言語化することができれば、私にはその能力がない…と落ち込み気味だったけど、

私は私にできることやりゃいいのか、って思った。

じっくりじっくり向き合って、「あ、これだ!」って思った言葉を使って自分の思ったこと感じたことを表現して、

あわよくば、それを読んでくれた人の心の中にすっと入りこめたら、

「ああ私も同じようなこと思ったことある」ってなってもらえたら、

もうなにも思い残すことはないなぁって思う。

もしそうならなかったとしても、誰かの記憶の片隅にあって、1年後、2年後はたまた10年後、ふとした瞬間に「あれってこういうことだったんだ」ってなるような言葉を紡ぐことができたら、もう本当になにも思い残すことはないよな笑。

 

最後に全然話は変わるけど、

最近の自分を振り返って、自分自身新しいことに挑戦することを躊躇して守りの姿勢に入ってしまっているな、と思う。

もっとのびのび、もっと柔軟に。

やりたいと思ったことに手を伸ばす心の余裕を。

どんな困難が待っていても、好きなことをして生きていくという覚悟を。

 

またね!