国立大AOで入ったら

AOで大学へ入学したら、その後の人生どうなるか?

肩書という枠と等身大の自分の狭間に落っこちてる言葉を探しています

月曜日から今日で3日目、母校でのインターン(?)も折り返し。

息苦しいなぁ、と思う。

 

例えば、通りすがりの知らない先生に、「立派になったねぇ」と言われたとき。

例えば、大学どこなんですかって聞かれたとき。

例えば、先生って呼ばれたとき。

例えば、廊下を歩いていてあいさつをされたとき。

例えば、授業中にちょっとあくびしたら生徒に見られてたとき。

 

常に「私」が、「広島大学から来た人」とか、「中高一貫の卒業生」とか、「大学生」とか、そういう何かのフィルターを通して観察されていて、評価されて、レッテルを張られているような感覚。

 

受験生のクラスに行って、後ろで授業を聞きながら、私も去年まではここにいたんだよな、となる。

下手したら、6か月くらいしか年が違わない人たちに、先生って呼ばれたり頭下げられたりしているんだなと思うととても不思議な気分になる。

 

ひとこと、と求められたらもっと困る。

今日も、帰りのSTで何か一言言ってもらおうかなぁといわれた。

でも何を…?

 

昨日みたいに、勉強は選択肢を広げるための手段だ、なんて偉そうに語るのか。

でも、そういう言葉は求めていなさそうだった。

 

じゃあ、今しかできないことをやろう、とでも言おうか?

でも「今しかできないこと」なんてその時には「当たり前」で、

できなくなってから「あああれはあの時しかできないことだったんだ」ってなるわけで。

あ、じゃあ、「○○は今しかできないことですよ」って気づきのきっかけを投げるのもいいことなのかもしれない。

とふと思ったり思わなかったり。

 

部活をやっている人がほとんど、しかも成績を残している人がたくさんいるクラスだったから、「高校3年間でなにかこれに熱中しました、と胸を張れるものを作ってください」とでも言おうかと思った。

でも、そんなの本人が一番わかってるし、なんなら「今やってるよ」ってなる。

それに、部活を経験していない私がそうやって知ったかぶって語るのも何か違うなぁ、となる。

 

明日は、初めて受験生のクラスを一日見学させていただく。

ちょうどこのころ、投げやりになりながらも決して歩みを止めず、だったこのころ。

どんな言葉が響くんだろう?と思う。

どんな言葉をかけてほしいんだろう、どんな言葉を投げたら、「よし頑張ろう」ってなるんだろう。

全員じゃなくてもいいから、誰か一人でもいいから、もし今すっごい悩んでる人がいるのなら、その人の中に何か前に進むきっかけを与えられるような、そんな言葉はどっかに落ちてやしないか。

 

先生にこんな言葉をかけられた。

「生徒も、各先生に求めてる役割とかって違うと思うんだよね」

確かに、と思った。

あの先生には癒しを求めてるし、あの先生には高度な知識を要求するし。

 

だとしたら、今の私、

迷ってばっかでさまよってる私、

肩書と中身を比較されることにうんざりしかけている私、

理想と現実は違うとわかっていながらそれでも理想を捨てきれずにいる私、

そんな等身大な私が言いたいことを言ってもいいのかな、という気もする。

というか、それを聞きたいから私に何かしゃべってほしいのだろう、

別に誰も、いいこと言ってほしい、なーんて期待はしてないのだろう。

良い意味で。

 

だとしたら、今の私はどんな言葉をかけるだろう。

去年悩める子羊だった自分が目の前にいる、と仮定したら、どんな言葉を紡ぐだろう。

 

 

なんか、グダグダこんなこと考えてるよって。

またね。