領域選択覚書1
これからぼちぼち、領域選択の覚書を書いていこうと思う。
自分がどんな選択をするかは置いておいて、1年後2年後3年後、どうして自分はこんな選択したんだろうとか、もう頑張れないよとかってなった時に、過去の自分がどんな気持ちで領域選択したか振り返れるように、残しておきたいなって思う。
そう、だから自分のために書く文章。
あ、ちなみに「領域選択ってなんぞや」ってなってる人に対してちょっと説明すると、
私たちの学部は、1年生の時は教養科目全部取って、2年生から、心理学系・理系・社会系の3つの領域に分かれて専門分野を極めていこう!という流れになっていて、
その3つの領域のどこに所属するか?というのを約1か月後に決めなければならないのだ、以上。
国立大AOで入ったら、の通り、私はAOで入学した。
それはすなわち「私はこんなこと将来やりたくて、そのために貴学でこんなこと学びたくて、だから入学させてくれい!」ってことを訴えて、それで合格を勝ち取ったわけで。
だから私自身、領域選択で悩むなんで想像もしてなかった。
私は理科の教師になりたいって信じていたし、生物に興味があるって信じていたし、それ以外の道に進むなんてありえないと思っていたし、それは中学校3年生の時からずっとそうだった。
でもどうやらそれは違うらしい。
で、理科の教職とるかー?とかいろいろ悩んでいたけど、今日ちょっと思ったことあったから書いとこうかなーって。
私が理科の先生になりたいって思ったのって、その先生が言っていた「一人も見捨てない」が好きだったからなのかなって思った。
そこにすごく共感して、その時の自分はそれを「理科の教員になること」でしか実現できないって思ったのかなって。
まあ、理科の教員になりたいって思った理由はほかにもあるけど、今書いたことって結構大きなウエイトを占めてるって私は思った。
じゃあ、それは本当なのかなー?
その、1人も見捨てないっていう理想は、本当に理科の教員になることでしかかなえることができないのかなー?
それは違う。
そう、それは違う。
大事だから3回言う。
それは違う。
私はそれに気づいてたから、理科の教員になることにそれほど意味を見出せなくなってしまったのかもなぁ。
自分の好きなことでも、その理想は実現できるんじゃないかって。
自分は、自分で教壇に立つことよりも、教育そのもの、例えば教授法とかそういうもののほうに興味があるっていうのも、うすうす気づいてはいた。
ただ気づかないふりをしていた。
今まで、理科の教員になりたいってもがいてきた時間がもったいなくて、その道に進まなければ、と視野狭窄を起こしていた。
そうやって過去にとらわれて、自分が進みたいって思ってるけど覚悟決まんなくて一歩踏み出せない言い訳に使って、そんな自分が嫌で。
いつか かけてもらった言葉で、「そうでしかありえなかった」っていう言葉があって、でも私はそういう気持ちになれなかった。
心の底では「そうでしかありえなかった」なんて思えなかった。
そうやって、過去は過去、今は今、とすることができなかった。
でも今日、それこそコメダからの帰り道、自転車をこいでいるとき、ふと「そうでしかありえなかったんだろうな」と腑に落ちた瞬間があった。
理科の教員になってやる、と思った中学3年生のとき、私にはほかの選択肢なんて見えてなくて、その選択肢を選ばざるをえなかったんだ、だからしょうがない、そうでしかありえなかったんだ、って。
どんな選択をするにしても、今手元にあるカードの中から選ぶしかない。
正確には、「今手元にあると思い込んでいるカード」の中から、なんだろうな。
本当は手元にあるけど見えてないもの、見れないものや、手元にすらないものは、そもそも選択肢の中に入らないのだから。
その選択肢は、今後勉強していく中で少しずつ見えるようになっていくものなんだろう。
だからあとから「あんな選択肢もあったのに」って後悔して、過去の自分を責めるんだ。
でも違う。それは違う。
だってその時の私には見えていないのだから。
だからもし、過去の自分をそうやって責めそうになっても、それはやめよう。
それが強さだって私は思う。
別にその「一人も見捨てない」っていうところは変えなくてもいいんだよな。
理科の教員になるっていう手段を選んだ時より少しだけ大人になって、少しだけ高いところからものを見れるようになった今、「ほかに手段があるのでは?」という疑問にぶち当たるのは当然のことで、
むしろそれがなかったら私はこの4年間全く変わらず同じ視座から物を見ていることになるわけで、それはそれで危険だしそんな自分にはなりたくないなぁと思う。
だからこれは歓迎すべき悩みなんだ、きっと。
ちょっと話がずれたけど、今日書きたかったことは2つ。
ひとつめは、私が本当にやりたかったことは、理科の教員になるとか理科の教員免許取るとかじゃなくて、1人も見捨てないっていう理想を実現させることだったってこと。
ふたつめは、理科の教員になるって選択肢を選んでここまで来たこと、それは「そうでしかありえなかった」過去のことだってこと。
「無数の選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである。」
なんかの本でこんな言葉を読んでメモしていたらしく、誰の言葉かすら思い出せないんだけど、まさにそうだなって思う。
何をするべきなのか、そんなこと今わかるはずないんだから、何をしたいか、何を大事にしたいかってとこだけブレてなけりゃちゃんとたどり着く場所にたどり着くんだろう。
そう信じるしかない。
一度、やりたいこととそれ以外って分けていくときの基準を、「一人も見捨てないっていう理想を実現できるか?」っていうところにおいて、今書きだしてるやりたいことや、今いる学部でできることとかをふるいにかけていこうかな。
そうしよう。
という、ちょっと大きめな独り言、でした。
これからこういうことちょくちょく書いて、自分の中で整理してこかな~?って思ってる。
またねーん。