何で勉強すんの?って疑問への私なりの答え方
昨日から、母校にお邪魔させていただいています。
毎日ある先生の金魚の糞になって授業を見学して分析してみたり、教員ってすっごい体力勝負だなぁと思いながら控室でばてたり笑。
ほんとすごいと思う。
だって、連続で授業あったらお手洗い行く時間も水を飲む時間もないし、
私はほとんどの授業で座りながら見学してるけど、50分立ちっぱなしって結構きついし、
階段駆け上がったり駆け下りたりするし、
給食の時間返上して生徒一人一人に声掛けしたり、
で、ちょっとできた隙間時間でテストの採点とか雑務をこなして…。
いや書ききれない。
あの体力どこから来るか教えてほしい。
そんな話は置いておいて。
今日担当させていただいたのは高校一年生のクラス。
一言でいうと「進学したいなぁってぼんやり考えてる」クラス。
就職ではないけど、まだ大学とかピンとこないし、みたいな。
だから勉強に対しても身が入らず、提出物の出が悪かったり…というような。
そのクラスの帰りのSTで、「皆さんの先輩から一言いただきましょう」という流れになった。
実は、STの前に、「あの子たちは勉強に対する意識があまりないから、一年生の時からコツコツやれよ、というようなことを言ってほしい」と言われていた。
3分くらいで「どんなこと話せばいいんじゃ!」ってなってた。
で、こんなことを話してしまった。
今日母校で、一言生徒にっていきなり振られて私が言ったこと。「将来自分が心からやりたいことが出来たり行きたい大学が決まったとき、能力がないからという理由で諦めなければいけないのは勿体無い。だから、今夢がなくて勉強する意味がわからなくても勉強しなければいけないんです。」カッコつけすぎ
— Reina (@R52713521) 2019年9月10日
…そう、かっこつけすぎ笑。
でも、私が6年中高で言われた中で、確かになって思ってる言葉ではある。
別に、数学で習った微積なんて使わない、四則演算さえできれば買い物できるじゃないか、とか。
物理のむつかしい公式なんか知らなくても飛行機には乗れるよ、とか。
英語だって今はワンちゃんしゃべれなくてもよいのかもしれないし(私はそうは思わないけれど、性能の良い翻訳機で十分、という人は確実にいる)
国語の古文漢文なんてきっとこの先読むことはそうそうないだろうし。
挙げたらきりがないくらい、一見無駄に見えるものなんて山ほどある。
でも、私はそれは違うって思う。
私は化学がすっごい苦手だった。
今も苦手笑。
だから受験で「化学」っていうのを見るとちょっと「う…」となっていた。
私は絶対に広島大学に入りたかったから「う…でも頑張ろう」ってなっていたけれど、もしそこまで広島大学にこだわっていなかったら、「二次試験で化学使うなら広島大学は諦めよう」となっていたかもしれない。
私は結局AOで入ったけど、出願締め切り1か月前にその決断ができたのは、今までやってきた活動とかで自分を売れるんじゃないかなって思ったから。
もしも高校の間に自分のやりたいことばっかやってなかったら、「まあいっか一般だから勉強だけしとこう」みたいな思考だったら、こんな風に受験をすることはなかった。
これは、さっきの話の一番のいい例だと思う。
「総科受験してみようかな、AO受けてみたいな」って思ったときに、よーし受験するぞ!って踏み切れるだけの材料がそろってなかったらあきらめるしかない。
それってすっごくもったいないって思う。
ほんとね、こういうのってほんと嫌だなって思う。
「○○が足りないから諦めるしかない」の○○の部分が、過去の自分がもう少し頑張れば手に入っていたかもしれないものだった、みたいな状況。
やりたいことを、過去の自分が積み上げてきたものによって制限されなきゃいけない、みたいな状況。
選択肢なんて多い方がいいに決まっている。
2枚のカードどっちがいい?より、100枚のカードどっちがいい?のほうが楽しい。
選ぶの大変かもしれないけれど笑。
で、そのカードを、たった3年間勉強に力を入れることで無限に増やせるのだとしたら?
私はそこに、一見どこで役に立つかわからないようなことを必死になって勉強する価値を見出す。
と偉そうに語ってきたけど、今の自分はさぼり気味なので、このことを語るのにちょっと後ろめたーい気持ちになる。
だから、この一週間できちんと見るべきものを見て、過去と向き合って決着付けて前に進む。
寝ないとやばい。
またね。