「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか」
昨日の授業中に、うとうとしながら考えたこと。
終末のフールっていう本を読んだときに、こんな場面があった気がする。
苗場君っていうボクシングチャンピオンと、派手な俳優さんの会話。
「苗場君ってさ、明日死ぬって言われたらどうする?」
俳優は脈絡もなく、そんな質問をしていた。
「変わりませんよ」苗場さんの答えはそっけなかった。
「変わらないって、どうするの?」
「僕にできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって、練習の話でしょ?というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ」
おかしいなあ、と俳優は笑ったようだ。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」
文字だから想像するほかないけれど、苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
私がこの文章を初めて読んだのは、確か中学2年生の時だったけれど、鳥肌が立って涙が出るくらいの驚きだった。
こんなに年月が経ってもふと思い出せるくらいの衝撃。
ふと思い出したついでに、例えば明日死ぬとして、私は何をしたいだろう、と考えた。
焼き肉が食べたいかな。
あー味噌カツも食べたい。
シロノワールも捨てがたいな。
ピアノ弾きたいかな。
あ、そういえばどうしても読みたい本があったな。
好きな人に会いに行きたいな。
綺麗な夜景が見たいな。
あ、観覧車に乗りたいな。
そして、「もし明日死ぬなら何がしたい」の答えが、今まで経験したことの中からしか見つけられないって気づいて、少し笑った。
あ、でも、寄生虫博物館と江の島水族館に行きたい。
これはまだ行ったことない場所。
例えば「明日地球は消えます」と言われたとして、
たとえそれでも私は、生き方や、今大切にしているものを変えるような、
そんな浅い人間にはなりたくないな、と思う。
明日死ぬとわかっても、いつも通り本を読んで知らないことを学んで、
ピアノを弾いて、好きな人と電話して、
それで「ああ、今日はもう終わりかぁ、明日は何しよう」と考えながら、眠りにつきたい。
きっとそれは、その日までに積み上げてきたものに満足していなければできないよね。
その、「明日で世界は終わるからやり残したことやっておいてね」と言われる直前までに、やり残したことがなければ、別にその「最後の日」もいつも通り過ごせるわけで。
こんなことを悶々と考えていた、昨日なのであった。