時限爆弾を必要とする人
最近感じてるもやもやをバーッて書く。
端的に言うと、何かをやりたいと思った人にだけ手を差し伸べるって違くない?ということ。
高校の時にフィリピンの留学体験を全校生徒の前でプレゼンした。
私の通っていた学校は中高一貫コースと普通科コースと他に技術系(情報処理とか)コースがあって、その人たち全員に向けたプレゼンだった。
途上国に興味がある人なんかいないんじゃないかっていうコースもある。
だからターゲット層が広すぎて、
「どうしたらみんなに伝わりやすくなるんだろう」
「みんなに興味持ってもらえるんだろう」
ってすごく悩んだ。
それに、私のいた中高一貫コースはその中でもなかなかほかのコースと交わる機会がなくて、
本当に知らない人、名前も知らない人たちに向けてのプレゼンだった。
だから、「あの子がやるからプレゼンちゃんと聞こうかな」
とかならなくて、本当に内容でひきつけないといけないような状況。
本当につらかった。
納得いかず作り直して作り直して、
なのに当日プレゼン直前に
「15分って言ってあったけど時間がないから10分でまとめて」
とか言われて、頭真っ白。
プレゼン内容全然準備してたのと違くなってしまった。
でもね、いざプレゼンが始まると、みんなすごく真剣にスクリーンを見てくれたのね、
ああ、ちゃんと届くんだって実感できたのがうれしかった。
でも、それだけじゃないんだ。
もっと感動したのは、文化祭2日目。
事前にね、プレゼンするだけっていやだなって思ってた。
というのも、聞いただけで「すごいなー」で終わるのがすごく嫌で。
「すごいな」って言葉が自分すごく嫌いで、
だって、その言葉を発したときって「どうしたら自分もそんな風になれるかな」とかっ考えないじゃない?
すごいな、でも私には無理、みたいな。
そこで思考が止まってますよーっていう合図だなって思ってしまう。
だから、私は「すごいね」って言われないことを目標にやってた。
だから、確かめてみたかったのね、
「すごい」っていう思考停止の状態からどれだけの人を進ませられたか、
「すごい」で思考停止してた人がその先に進んだらどんなことを考えるのか。
で、みんながプレゼンを聞いてどんなことを考えたのかってことを付箋に書いて張ってもらった。
最初は、誰も張ってくれないんじゃないかとか、誰も展示見に来てくれなかったらどうしようとか、いろいろ考えてた。
でも当日、たくさんの人が付箋を貼りに来てくれた!
いつも先生の話をつまんないなぁと思いながら聞いてる子から「あなたのプレゼンだけは最後まで起きて聞いていられたよ」って言ってもらえたり。
「民族衣装はいくらしたんですか、どこで買ったんですか」っていわれたり。
「自分の夢に向かって行動してる姿を見て私もやってみたいと思えた」って書いてくれたり。
「今まで全く興味なかったけどそういう人がいるんだって知れた」って書いてくれたり。
そのときに、思ったのね、
きっかけさえあれば、視野っていくらでも広がるんじゃないかなぁって。
衣装に興味持ってくれた子はもしかしたらその衣装のことを覚えててくれて、いつか同じような衣装を目にしたときフィリピンのこと思い出すかもしれない。
「何か自分の好きなことをやってみなさい」って言われたときに、私がフィリピンに行ったってことを思い出して、ぶっ飛んだことやってみるのも悪くないかもなって思ってもらえるかもしれない。
いつかまたニュースで途上国のことが取り上げられてた時、「そういえば文化祭の時発表してる奴おったな」ってなるかもしれない。
そうやって、今の時点では何ともないことがきっかけになって、いつかの「学びたい」を作ることがあるんだってことに気づいて、
鳥肌が立った。
私はきっかけ作りってすごい大事だと思う。
何も意識しなければ流れて行ってしまう世の中の何か素敵なこととか考えたいこととか心動かされることとか
そういうものにビビビッと来るための下準備というか、
そういうのがきっかけ作り。
ビビビッて来たら、自然に行動したくなっちゃうと思うんだよね。
だから、きっかけ作りって大事だと思う。
んー、いい方は悪いのかもしれないけど、
その人の中に「学びたい」っていう意欲が爆発するための時限爆弾をそっと仕掛けるみたいなイメージ。
私はフィリピンのことを通して、そんな時限爆弾をたくさん仕掛けられるような人になれたら素敵だなって思った。
私はこの時限爆弾って、例えばいわゆる底辺校に通う人とか、そういう人にこそ必要なんじゃないかなって思う。
もちろんそれをもらう本人たちは「今時限爆弾仕掛けられた!」って思いすらしないのだろうけれど、
それが1年後?5年後10年後?爆発したときに、きっとその人たちがその時限爆弾に意味を見出してくれると思うんだよね。
「あの時あいつはこういう瞬間のためにあんなこと言ってたのか」って。
それが、その人の心に住むということ、その人の何かを変えるということ、その人の心の中に入り込むということ、他人に影響を与えるということなんじゃないかなって本気で考えてる、最近。
何かをやってみたい、そういう意識のある人に最高のコンテンツを用意するのも素晴らしいことだし、やりたいと思った人が本気で挑戦できる環境づくりは本当に大事。
じゃあ、何かをやってみたいって思わず毎日を過ごしている人は?
そんな環境を提供されず、ほおっておかれるような人は?
何かに挑戦したいとすら思わず生きている人は?
そんな人にはさっき言った「時限爆弾」を提供する価値なんかないのか?
私はそんな人たちが時限爆弾を持って過ごして、ある日突然それが爆発したらどうなるんだろうって考えるとすごくワクワクするよ。
それで、爆発した先でその人がバリバリ行動して、なにか変わるのだとしたら、
それこそが私の見たい、見てみたい未来だって思う。
ああ、なんかだらだらとまた語ってしまった。
6月8日からの一泊2日の合宿で考えたことはまた別記事できちんとまとめます。
またね!