遺書と言う名の明日への手紙
ベートーヴェンは、難聴で音楽生命をあきらめようとしたとき、
「ハイリゲンシュタットの遺書」というものを書いたのよね、確か。
遺書っていうとちょっと…な感じするかもしれないけど、これはそういう類のものではない。
絶望したといいながら、それでも音楽が私をこの世に引き留めているって文章なのね。
私は生きるぞ!っていう覚悟を決めるための文章なんです。(と私は解釈している)
だから今日は私にとってのハイリゲンシュタットの遺書を書こうかなと思う。
なんていうか、うん、未来の自分のための文章を書く。
というのもですね、今いろんな人とお話しする中で自分のやりたいことがぐちゃぐちゃになっててそれがつらくて、っていうことをこの世で一番信頼してる人に話してエンパワメントしてもらったのですが、
私が落ち込んでるときいつでもその人に頼れるかって言われるとそうでもないので、
これから先今みたいな感情になって誰にも相談できないときに、読んで明日も頑張ろう!って自分が思えるような手紙を書いておこうかなぁと。
じゃあ自分で紙媒体の手紙書けばいいじゃん!って思うかもしれないけど、
自分で個人的にかくとなんか中途半端なこととか書きそうなので、
自分の知ってる誰かの目に触れるかもしれないっていうこの場所に書いて、
生半可なことは書かないって覚悟を決めたかったってただそれだけ。
とにかく、今日はとってーも自分本位なことを書きます。
ごめんなさい。
それでも読もうかなぁって人だけ先に進んでみてください笑。
あなたは、小学2年生の時から教師になりたかったよね。
担任の先生がかっこよくて、しぐさとかマネして、
「地元の教育大学に行くんだ!」なんてませたこと言ってた。
隣の子が算数の解けない問題があって悩んでた時教えてあげたら、
すごく笑顔で「ありがとう!わかった!」って言ってくれる、それがすごくうれしくて、
自分の知ってる・持ってる何かで他人を笑顔にできるってすごい、もっとその笑顔を見たいって、小学校の卒業文集に書いてたよね。
あなたは、小さい時から、そういうことを幸せだなぁって思ってたよね。
小学校6年生の時、中学受験したよね。
担任の先生に、やめとけって言われたのに、修学旅行で海外に行きたい!っていうだけの理由で、受験したね。
思い返せば、もうそのころには頑固だったんだね。
中学入ってからも、たくさんいろいろなことをしたね。
テストで90点取れなかったとか、小数点差で1位じゃなかったとかで泣いたり、とにかく負けず嫌いだったね。
今でもそれは変わらないけどね。
中三の時、転機があったね。
あの時はすごく空が青くて、木もすごく緑で、風も強くて、ただ泣いてたね。
ビーカーを割ってしまって、絶対怒られると思ってお小遣いの3000円を封筒に入れて謝りに行ったとき、すごく勇気を出していったのに、
「そんなお金では買えないから、いつか出世払いしてください」って笑顔で言われたよね。
後で調べたら、1000円もしないものだったよね。
そりゃ生徒からお金なんて貰えるわけないから、断らなきゃいけないことなんだろうけど、そういうこと抜きにして、本当にうれしかったよね。
でももう払えないなって思ったんだよね。自分を責めちゃったんだよね。
それから先生がどんな理想を掲げていたか知って、でもあなたがその理想と真逆のことをしてて、もっと自分を責めちゃったんだよね。
「私のせいで」って、思ったんだよね。
だから先生の母校で教育について学んで、先生の理想を私がかなえたいって思ったんだよね。
あの頃は、どうにか乗り越えようって必死だったんだよね。
だから高校1年生の時は、本当に思い詰めてたね。
この世界から消えてしまおうかとも思ったよね。
でもちゃんと今、ここにいる。生きることをあきらめなかったね。
高校二年生の時、また転機があったね。
全部がどうでもよく見えてた時、トビタテのチラシを見て、海外に行こうってなったよね。
結局面接で落ちちゃったけど、その時見たもの感じたもの学んだもの触れたものですべてが変わったね。
それから、もう一度生きようって思ったよね。
心の底から、大学で学びたいと思ったよね。
それから、受験勉強したね。
苦手な化学や数学も頑張ったね。
模試でもいい結果でて喜んで、伸び悩んで落ち込んで、その度にいろんな人に支えられてやってたね。
8月のオープンキャンパスで、志望学部を変えたね。
折角A判定出てたのに、なんか違うって違和感だけでリスクをとったよね。
それで、いろんな先生の反対を押し切って、AOの準備を始めたよね。
同級生や担任の先生に直してもらって、やっとできたものをある先生に自信満々に見せにいったら、
「何言いたいか全然わからない」って言われて、泣いたね。
それから なにくそって思いながら、ずっと提出書類書いてたよね。
担任や書類見てくれる先生から
「受かる確率低いんだからそんなことやってないで一般の勉強しろ」って言われても、
悔しい!って泣きながらそれでも書類書くのだけはやめなかったよね。
一次通って、それからがもっと大変だったよね。
オープン模試のすぐ後に弁論大会があって、その2週間後くらいに二次試験で、
小論の勉強も面接の準備もしてなかったから一からやらなきゃいけなくて、
オープンの勉強と弁論大会の原稿づくりと二次の対策で、本当に寝る時間もお昼の給食の時間も削りまくってやってたね。
合格発表は、トイレで一人で見たね。
信じられなくて、スマホを落としそうになったね。
教室に入って報告したとき、同級生が「マジ?」って言ったの覚えてるよね。
そのあといろんな先生に報告に行って、たくさんおめでとうって言ってもらったね。
そのあと、中学校一年生、なんなら入学前から私のことを見ててくれた先生から手紙をもらったよね。
「あの先生の後輩になったたことをうれしく思う」っていう文章を見て、ああ私は本当に合格したんだって思えたよね。
ここまでいろいろ書いてきたけど、別に意味もなく書いたわけじゃなくて、
それは今まであなたがどんなことをして、今掲げてる理想を掲げて追いかけてきたか、思い出してほしかったからです。
あなたが、理科教育とか教育を届けたいとか一人も見捨てないとか、そういう理想を掲げていろいろなことをしているけれど、それはあなた一人で見つけた理想ではない。
今までかかわったすべての人が、人生を賭して伝えたいと願っていた何かの一端にたまたま触れて、自分の心が動いたその瞬間を自分でビビビッて感じ取って、それでずっと忘れられないものだけが今のあなたの理想を形作ってる。
あなたの理想や夢や目標は、自分で決めたものや自分で作り出したもののように感じるかもしれないけれどそれは違くて、
それは本当は、あなたの大事な人やあなたのことを大事に思ってくれてる人、たまたまどこかで知り合って一回ぽっきりの人、大好きな人、大嫌いな人、会ったこともないどこかのだれか、本当にたくさんの人の考えとか理想とか夢とかそういうものが集まってできている。
それを忘れていないか?ということを私は問いたい。
こんな理想かなうわけないとか、こんな夢実現できないとか、ばかばかしいとか、そう思ったときは、きっとそのことを忘れているということです。
夢を否定するということは、その夢をくれたひとを否定すること。
夢をくれた人の思いや理想まで踏みにじること。
その夢を追いかけていた自分自身を否定すること。
自分の生きてきたあかしを否定すること。
そんなことは何があっても絶対にしてはいけない。
何を言われても、その理想をくれた人を信じる。
その理想をかなえるために努力してきた自分を信じる。
その理想を掲げた瞬間、キラキラした目をしていた小さかった頃の自分を信じる。
今そばにいて、あなたは間違っていないと言ってくれる人を信じる。
それだけのこと。
それでもやっぱ私は私の弱さを知っているから、信じきれないときが必ず来ると思う。
何やってんだろうって、もういいやって低い方に流れてしまう時があると思う。
そんな時は、流れればいい。
ずっと好きなピアノを弾いて、好きな焼き肉をおなか一杯食べればいい。
ずっと写真を撮っててもいい。絵をかいてみてもいい。
動物園に行くのもいい。ずっとワンピースの漫画を読むのもいい。
カラオケであの曲を熱唱してもいい。
全部全部やりたいことをやればいい。
それで、もう一回自分で自分に問い直せばいい。
本当にあきらめていいのか、投げ出してもいいのかって。
多分私は負けず嫌いで天邪鬼で頑固で、それは昔も今もこれからもずっと変わらないから、絶対に「あきらめよう」なんて思わないよ。
どれだけ低い方に流れたって、絶対に帰ってくる。
こんなとこであきらめるなんて悔しいって絶対思う。
私はそうやって信じてる。
未来の自分は絶対に、理想を捨てたりしないって信じてる。
だから大丈夫。
それでも投げ出したいんだったら、すきにすればいい。あきらめればいい。廃人にでもなんでもなればいい。
でも今の私は、絶対に許さないよ。
今の私は、勝手に未来の私に期待してるから。
未来の私には、今の私の理想をかなえるそんなヒーローになってほしい。
どんだけ誰に何と言われようと、悪足掻きし続けるあきらめの悪い人でいてほしい。
というか、そんなすぐあきらめれるような理想を掲げている人になってたら、ちょっとがっかりするな。
かっこいい背中を見せてほしいな。
今の私が「あの時あきらめなくてよかった」って思えるような人になっててほしいな。
私は、未来のあなたのために、あきらめることをあきらめて明日も頑張るんだからね。
がんばれ自分。明日だけでもいいから頑張れ。
何やればいいかわからんと思ってもとにかく動け。考えろ。思考を止めるな。
いままでもそうやって乗り越えてきたんだから。
青くたっていいだろ。恥じることじゃない。これから学べばいい。
これからのことなんてこれから考えればいい。
だからこんな記事の存在を思い出してわざわざ探して読むような時間があるなら、今日は早く寝て、明日生きよう。
私は覚悟を決めて、明日からの合宿頑張るよ。
またね。
もし最後まで読んでくれる人がいたなら、心の底からありがとう。