国立大AOで入ったら

AOで大学へ入学したら、その後の人生どうなるか?

今日の悩み事。

今日夜に更新しないって言ってたけど、書きたくなったので書く。

今の気持ちをちゃんと残したい。

 

今日、ある人に相談をしたのね。

端的に言うと、自分がとある団体に入るか入らないか。

団体の名前は出せないんですが、ごめんなさい。

説明します。

 

私が途上国の村の開発とかに携わってみたいって言ってたら、ちょうどそれに関する活動をしている大人の方が「やってみない?」と声をかけてくださった。

それも結構大掛かりなもので、今の自分が生半可な気持ちで取り組めるような規模じゃないもの。

でもそれをやることで、村の開発ってどうやるのかとか、

大人の方との交渉の仕方とか、

企画の運営の仕方とか勉強できるんだと思うと、

どうしても挑戦したい!って思いが強くなった。

だから、今入ろうとしていた団体に入るんじゃなくて、個人でそういう活動をしていくか迷ってて、その相談をしてた。

 

その、私が入ろうとしていた団体は、すごくいい団体。

私が将来やりたいこととか言っても、絶対に馬鹿にしたりする人はいないし、

真剣に考えるときは考えて、なのにはっちゃけるときはすごく面白い人たちばかりで。

でも、居心地がいいからこそ、私は本当にここにいていいのかな?っていう思いが膨らんでた。

 

私は、自分を成長させるためには自分を追い込むしかない、自分にできないことに囲まれて過ごした方がいいって思ってる。

何か2つやりたいことがあってひとつ選ぶときは、むつかしかったり絶対無理だって思ったりする方を選ぼうって思って、そうやって生きてきたつもり。

だから今回も、「村の開発を主導する」と「その団体に入って活動する」のふたつを比べたときに、

困難で先の見えない「村の開発を主導する」のほうを選ぼうっておもった。

純粋に興味もあるし、今の自分の力では超えられないような課題を自分に課したいから。

その選択肢に全力で向き合えるようにしたくて、そのために行動しようと。

だから、さっき言った団体に入るのをやめようって思いがつよくなった。

 

でも、相談した人に言われたんだよね、

ちゃんと「ここが自分の帰る場所だ」って言えるところがあるのかって。

その時に、私にはないなって思った。

なんでって、それは単純で、

そういうものを作ることに時間を割いてないから。

 

思えば、高校の時からそうだった。

誰かと何か一つのものを作り上げるっていうのがすごく苦手だった。

自分で自分の課題に取り組んで、結果も自分で背負って、そういうスタンスだった。

多分それは今も変わらなくて、誰かと何か語り合ったり、そういう時間の優先順位が著しく低いんだ。

それは別に、周りの人が嫌いとか、そういうのじゃなくて、ただ視界から消えてしまうだけ。

自分で自分に課した課題でいっぱいいっぱいになって、周りに目が向けられない。

周りが差し伸べてる手にも気づかないし、周りに手を差し伸べてくれる人がいるんだってことにも気づかない。

だから私には、「ここが私の居場所です」って胸を張って言える場所がない。

 

それにね、そういう場所を作ることに抵抗もあった。

そうやって居場所を作ること自体を逃げの行為だって感じる自分がいた。

もう自分にはここしかないんだってならないと、本気で課題に向き合えないんじゃないか、がんばれないんじゃないかって考えている自分がいた。

だから、その団体をそういう逃げの場所、村の開発の件がうまくいかなかったときの保険として使うのだけはどうしてもいやだった。

それにそんな考えでその団体に所属してるのって失礼じゃない?

その団体で本気で活動している人に。

と私は思ってしまった。今も思ってる。

 

相談に乗ってくれた人は、「その団体をあなたの居場所として使えばいい」と言ってくれたけど、これから先、私がその団体の中で居場所を見つけられるか?といわれると、正直わからなかった。

また今まで通り、周りが見えなくなって、ただ負担になってしまいそうだと思った。

それは、私がその団体の中でいろいろな関係を維持することに負担を感じてしまいそうだということでもあり、

その団体のみんなが私のことを考えるのが負担になるんだろうなということでもある。

 

私は大学1年生だからっていう理由で何かに挑戦することをあきらめるつもりはないし、がんばりさえすれば村の開発のことだって絶対成功させられるって信じてる、

だからこそ、そこに自分のすべての力を使いたい。

だから、そのことに集中したい、それ以外のことに時間をとられたくない、

そういう考え。うん。

 

そこでしか得られないこと・学べないことってどの活動にも必ずあるよね。

だからどの活動もすごく魅力的で、

私はそれをすべて拾いたいと思う人。すべてに挑戦したいと思う。

でも、体はついていかない。

だから、何かに挑戦するってことは、何かに挑戦することを諦めるってことなんだと思う。

何かを得るってことは、何かを得ることを諦めるってことなんだ。

私は何に挑戦すればいいんだろう、何を得るためにもがけばいいんだろう。

私にしかできないことってなんだろう。

私は村の開発の経験を誰よりもこれからの人生に生かしていける自信がある。

じゃあ、団体に所属することで行える活動は、私でなければできない活動なのかな?

 

ううん、わからないや。

でも、悩むのをやめるのは違うなって思う。

誰かに決めてもらうのも違うなって思う。

自分で背負って自分で選んで自分の力で進んでいかないと。

逃げないぞ、私は。

 

ただの悩み事でした。

 

またね。