立ち向かった結果、逃げるって選択をしたっていいじゃん
最近、中高の同級生に電話をかける、という企画を1人でやっています。
理由としては、そろそろみんな、大学生活に慣れてきて、近況報告をしたらお互い面白い話ができるんじゃん?という純粋な興味が1つ。
もうひとつは、高校の時の自分を知っている人と話をすることで、今の自分が見失ってるものとかを見つけられるんじゃないか、という淡い期待。
昨日、3人目の同級生と電話をしました。
久しぶりの話は弾む弾む、時間が経つのもアッというまで、ついつい3時過ぎまで話し込んでしまった。
(相手の人ごめんなさい)
そこで出てきた言葉で、ハッとさせられた言葉があったので紹介したい。
それは、
「立ち向かうのが逃げ、逃げるのが立ち向かうってこと」
っていう言葉。
はい、これだけじゃ伝わらないよね。
もうちょっと説明してみると、
何かを始めてちょっと時間が経って、「なんか違うかも」って思ったら、やめるっていうのも立派な選択肢の一つである
みたいな感じでしょうか。
最近、領域選択や教職どうするか、ということを決めました。
その結論は、違う文章にまとめたいので割愛しますが、
自分の中で、もやもやが残る中での選択でした。
というのは、考えつくすことができなかった…とかではなく、
純粋に、「これからやっていけるのだろうか、これでよかったのだろうか」という不安が残っている、ということです。
加えて、今動き出そうとしている企画があって、それも、やめておくべきかやるべきか…みたいな、
本当に、先が全く見えない中での選択で、自分がいっぱいいっぱいになってしまっていました。
さっきの言葉は、そんな相談をしたときにもらった言葉です。
自分がうだうだ説明していた時、やりたいって思ったらやって、なんか違うなって思ったらやめればいいんだよ、と言われました。
えー、そんな適当でいいの?と思っていた私に、
実は自分も、やめれず中途半端に続けて後悔したことがある、と話してくれました。
その時出た例は、将来起業したいから起業スクールに通う、的な。
始めたときはそうでもなかったけど、少し経ったときに「なんか違うなぁ」と思ったのだとか。
でも、きっと価値のあることだと自分を納得させて通っていたと。
で、それが終わった今、振り返ってみて、ちょっと後悔が残っている、と。
どんな後悔かっていうと、
「あの時自分はほかのことに時間を割いていた方がハッピーだったのではないか」
っていう後悔。
んー、ハッピーじゃ抽象的過ぎて伝わらないとしたら、そうだなぁ、心の底から納得できる、というか。
終わった後に、あれは意味のあるものだった、無駄ではなかった、と心の底から思える、というか。
なんかすごくこの話に出てくる、スクールに通い始めたばかりのその人って、今の自分とそっくりなんだよな。
なんていうんだろう、なんか目標があった時にさ、いかにもそこを目指しています!ってわかりやすい行動って、やっぱりあると思うんだ。
それってやっぱり他人から見ても「その行動には価値があるのだろう」って認めてもらいやすくなるわけじゃん。
そしたらさ、いくら自分が「なんか違うかも」って思ってても、「周りは価値があると言っているのだし、価値ありそうだし」みたいな、納得できてない自分をうまく言いくるめてしまう。
それって結局、「逃げることから逃げてる」ってことなんじゃん?と。
もっともらしい理由を作って、「逃げたい、やめたいって思ってる自分」と向き合うの避けてるだけなんじゃん?と。
そういうことです。
よく最近「これって意味あるのかなぁ」とか相談して、もっともらしい回答をもらって、やっぱそうだよねとか納得してたけど、それは違うな。
結局誰だって、どの選択肢に価値があってどの道が正解かなんてわかんねぇんだよな、神でもあるまいし。
だったら、一見将来やりたいこととのつながりが見えてなくて、周りから「それって意味あるの?」と言われることだったとしても、自分がハッピーな方を選んだらいいんじゃん、って思うかなぁ。
ハッピーっていうか、その選んだ道の先を歩いてる自分を想像したときに、ワクワクできたら、きっとその道に進むべきなんじゃないかなぁ。
そういう意味では、今回の領域選択、少しだけ、この選択をした自分のことを肯定できた気がしました。
もうひとつこれからやろうって決めてることとして、自分が将来どういう世界を創りたいか言語化しなおす、というもの。
ブログを始めた当初、それを言語化してて、実はそれを付箋に書いてトイレに貼って、毎回見てるのね。
でも最近、あまり響かなくなってきた。
多分、自分が世界を見るためにかける眼鏡の種類が変わったからだと思う。
今までは、「エンパワメント 教育」みたいな眼鏡をかけてて、
でも今は違う。
エンパワメントって部分は変わってないんだけど、教育ってところにそれほど重きを置かなくなってる自分がいるというか。
実際、教育×途上国っていうボランティアとかインターンとか見ても、いまいちピンとこないし、それをやってる自分を想像してもワクワクしないというか。
だからもう一度、そこを言語化しなおしてみようと思う。
実はね、昨日会話の中で、「じゃああなたは世界をどんな風にしたい?」みたいな質問をされたときに、ぱっと答えられなくて。
やっぱり、自分の中で変わったんだな。
いいことなのか悪いことなのかわからないけど、もう一回向き合ってみよう。
これは、向き合うために逃げるっていう選択肢を選んじゃダメなやつ。
最後に、結論、やっぱり久しぶりに高校の同級生と話すのはよい。
なんかね、うん、良い。
大学の友達にはない良さがあると思う。
以上。
またね!