私の文章は、たまに人の役に立つらしい。
今日、実は、てばさきさんとコメダでお話ししました。
いいだらぁ~(方言で、いいでしょう?っていう意味)
超雑談からちょっと込み入った話までいろいろしたのですが、
今一番うまく言語化できそうなことを書きます。
てばさきさんとのお話
私は雑談する気満々で行ったのですが、てばさきさん、なんと私のブログを読んで質問事項とかまで用意してくれていました。
私も、時間を割いていただくからには、もっとリサーチして聞きたいこととかまとめるべきだった。
反省。
で、私のブログの話になって。
その中で、「今まで自分ではうまく言語化できなかったことをうまく言葉にしてくれてるって感覚がある」と言っていただけました。
例えば、これ。
この中に、以下のような一文があるんです。
高校生の女の子の話を聞いていて、思ってしまったんです。
「若いっていいなぁ~!!これから何でも選択できるじゃん!私はもうこんな年だ…」
そんなことをふと考えて、ハッとしました。
え?まだ大学1年生なのに!
昔そうやって言って先輩風を吹かす人が嫌で嫌で、「絶対自分はそんなこと思わない」って誓ってたのに!
そして気づきました。
多分この言葉に隠れているのは「羨望」なんだろうなと。
てばさきさんはこれを、自分も経験したことがあるけどうまく言語化できてなかったもの、と言ってくれたんです。
「人の役に立つ」文章書けてるか、自問自答していた私
最近ブログの話を誰かとすることが多かったのですが、その中で、こんな言葉がずっと引っかかっていました。
「せっかく文章を書くならさ、誰かの役に立つようなことを書きたいよね」
確かに、自分の書いた文章が人の役に立っていたらうれしいし、
役に立つ文章のほうが、多くの人に読んでもらえます。
それを聞いて、思ったんです。
私はいつも、その時自分が感じたことをそのまま文章にして公開していて。
それって誰かの役に立つのか?と。
「人の役に立つ」文章とは
それを考えるにあたって、そもそも「役に立つ」文章って何なんだろうなって。
簡潔に言ったら、「読んでくれてる人の要求を満たしているもの」なんじゃないでしょうか。
と、今日てばさきさんの話を聞いて思いました。
「役に立つ」っていろいろあるじゃないですか。
例えば、「新しくできた近所のお店に行ってみた」っていう記事だったらどうですか?
「そのお店のことを知りたい!」という人の役に立っています。
情報提供してほしい!っていう、読み手の要求を満たしてるから。
じゃあ次に、「もふもふワンちゃん30選」的な記事はどうですか?
どんな時に読むかって言われたら、ちょっと疲れてて癒されたいときとか、じゃないですか?
これも、癒されたい!っていう、読み手の要求を満たしています。
何が言いたいかっていうと、読者の人が求めている条件を満たしている文章だったら、どんなジャンルだったとしても「人の役に立つ」文章ってわけです。
あ、ここでは「記事」と「文章」はほぼ一緒のものとして扱ってます。
だから、私の文章は人の役に立つ
人間だれでも抱えている欲求
さっき、読んでくれている人が求めている条件を満たしていれば、どんな文章も人の役に立っているといえる、と書きましたよね。
じゃあ、私の文章を読んでくれてる人はどんな欲求を持っているんだろう。
正直、よくわかりません。
でも一個だけ、これじゃないかな~っていうのを見つけることができました。
それは、「自分の思ったことを誰かに伝えたい」という欲求です。
媒体は何でもよくて、例えばアートだったり音楽だったり。
その中のひとつに、言葉を使って自分の考えを誰かに伝えたい、というのがあるんじゃないかなぁと。
少なくとも私は、この欲求あります。
自分が思ったこと感じたこと全部そのまま相手に渡したいって常日頃思っています。
で、さらに、その思ったことに共感してほしい、という欲求も、人間だれだって持っていると思います。
「自分こう思ってるんです」って伝えたとき、「私はそんなこと思ったことないよ」なんて言われたら悲しくないですか?
やっぱり人間は、
自分の思ったことを誰かに伝えたいっていう欲求と、
共感してほしいっていう欲求を持ってるんじゃないかな。
私の文章が役に立つ瞬間
で、今回分かったのが、たまーに、私の文章が誰かのこの欲求を満たすんだな、ということ。
例えばさっきの文章のように、「若いっていいねぇって言っちゃう背景には、うらやましいなっていう気持ちが隠れてるんじゃないか?」と私が書く。
それを誰かが読む。
「僕・私もそう思ってた~!」となる。
この時、私の文章は、読んでくれてる人の2つの欲求を満たしたことになる。
だって、ついつい若いっていいなあと言ってしまう、ということに対して「私もだよ」と共感のメッセージを送ることによって、読み手の「共感してほしい」という欲求を満たしているし、
「それはきっと羨ましいからだよ」と、自分の思ったことを言語化して伝えるお手伝いをすることで「誰かに自分の思いを伝えたい」という欲求を満たしたから。
んー、伝わるかな。
多分、どんな文章だって、全人類の役に立つようなものは存在しないと思う。
流行を追っかけてない人が最新の情報に価値を見出すことはないし、
悲しみの中を漂っていたい人がもふもふワンちゃんの記事を読むところはあまり想像できない。
それと同じように、私の文章も、万人の役に立つわけではない。
もうそれはしゃーなし。
でも、私の文章は、たまに人の役に立つらしい。
でもそれは、本当にたまにしか起こらない。
たまたま、私と似たような経験をしていて、
たまたま、それを誰かに伝えたい・共感してほしいと願っていて、
たまたま、そんな人が私の文章を読んでくれて、
たまたま、その人と私と考えの波長が合ったとき、
初めて私の文章は役に立つんだとさ。
今までは、私の文章を読んでくれた人がなにか自分の好きなことに挑戦しようと行動する、その一歩を踏み出すきっかけになったら、
それが私の書いた文章が役に立った瞬間なのかなぁと思っていましたが、
別にそこだけにこだわる必要はなく、
誰かの意識の片隅にあったもやもやに形を与える、という形で私の言葉が役に立つこともあるんだなぁと思った、今日この頃なのであった。
よくわからんくなった気がする。
またね。