ひとりごと、これから考えたいこと。
楽しいことも苦しいことも話す、ありのままの自分でいる、と決めたので、今日は思ったこと全部書く。
最近またあまり調子が良くなく、
自主休校やでー、3連休やでー、と冗談のように言いながら、またベッドの上でうんうん唸っていた。
理由は、はっきりしてるけど言いたくない。
ただ、今回は幸運なことに、人に頼る、ということができたので、わがままを言って頼らせてもらった。
で、その時の話。
私があまりにも混乱していたから、そのことを誰か別の第三者に相談しようと思ってくれたらしく、ある場所に電話をかけてくれたのね。
でも、何度かけてもつながらなくて。
その人が「なんで電話つながらんのん」って言ったとき、ああ、多分ここに問題があるんだろうなって、他人事みたいに思った。
なんていえばいいのかな。
誰かにすがるっていう選択肢が浮かばないほど悩んで悩んで悩んで、
それでも、ふと「だれかに相談しよう」って、やっと思えたときに、
「ここにならすがってみてもいいかな」と、その人が思えた場所に、
その人がすがりたいと思った瞬間にすがれる仕組みを創れたらいいのに、と思う。
目に見える物理的な空間なのかもしれない。
逆にオンラインみたいな目には見えない空間なのかもしれない。
その人の中にあるキラキラした思い出みたいなものなのかもしれない。
その人の一番傍にいる大事な人や、逆に全くの赤の他人というような、人なのかもしれない。
それはわからないけど、とにかく疲れたなって思って何も考えられなくなって、ふと「ここならこんな私でも受け入れてもらえるんじゃないか」って、そう思えた場所に、その瞬間にたどり着けなかったとしたら。
私は、それ以上につらいことなんてあるんだろうか?と思う。
というか、私はつらい。
お前のことなんか誰も見てねぇよ、1人で泣いてろ、って言われてる気分になる。
だから私は、
すがる、という言い方が、依存みたいであまりよくないイメージになってしまうのだとしたら、それは私の言葉選びのセンスがまだまだってことなんだろうけど、
自分のご機嫌くらい自分でとれよ、それが大人ってもんだろう、となるのかもしれないけれど、
私は、そんなふうに片づけたくないな、と思う。
理由は、私自身がそんなふうに片づけられたら傷つくから。
嫌だなって思うから。
たとえ、目の前にあることに意味を見出して、前に進んでいくのが、その問題に直面している本人だったのだとしても、周りにいる人は何もできない、何もしなくていいってことではないと思う。
何もできないのかって言われたらきっとそうじゃない。
私がその人にしてもらった、してもらっているように、きっと私も誰かに何かできるんじゃないかって思う。
実際に、私はつらいって言ったときにそばにいてもらえたことがすごくうれしかった。
かけてくれた言葉がたとえ的外れだったとしても、私のことを考えてくれてるんだってことは伝わった。
だからやっぱり、すがってみようって思って、手を伸ばした瞬間に、ぐっと上に引っ張ってくれる誰かがいるって信じることができるような、その仕組みには価値があるんじゃないかって思う。
なんていえばいいのかな。
なんか、ちょっとした、何の根拠もない確信なんだけどね。
これから私はいろんなことしていくんだろうけど、
この経験と、今日思ったことはずっと頭の片隅にあると思うな。
19歳になってしょっぱちからこんなこと書くのなんかいろいろきついけど。
またね。