夢と理想と現実と
実家にいるのは今日で最後、明日は空港の近くに前泊して、明後日出国。
ぶっちゃけ、今「あんま行きたくないなぁ」という気分。
なんでかっていうと、「これをするために行く!」って強い気持ちが消えかかってるから。
こうなった原因、一番大きな出来事は、先方とのアポ取りに失敗したこと。
もともとベトナムに行く目的が、今やりたいと思っている、というかちょっとずつ動き始めている街づくり(地域活性?)のプロジェクトの、ベトナム側の協力者を探す、ということだった。
その最有力候補の学校とのアポ取りに、失敗した。
最初、ゆっくり時間をとってお話しする予定だったけど、それが諸事情でできなくなり、お昼ご飯だけ一緒に食べましょう、ということになった。
敗因は、私の甘え。
先方の学校の校長先生と仲が良い、ということを聞いていたので、少しくらい融通が利くだろう、と思って企画書出すのが遅れた。
いや、本当に笑ってしまう。
自分で機会をつぶしに行くなんて。
これ、前書いたやつじゃん。
もう少し努力していれば手に入れられていたかもしれない未来うんぬんかんぬんみたいな。
実は、ほかにも2,3高校又は中学校に行く予定だったけど、どこもアポ取りに失敗、別の活動をすることになった。
このアポ取りをしてくれた人たちは、私とは違って8月から一生懸命時間をかけて企画書を作って、先方とやり取りしていた。
にもかかわらず、返信すらない、ということもあったらしい。
何かなぁ、と思う。
今回、私はとあるプログラムに参加してる。
そのプログラムの趣旨が、スタツアにはない良さを提供しますよ、ということだった。
それは、自分で海外に行くための力を身に付ける、ということ。
例えば航空券を自分で取得する、2週間なにやるかを参加者で話し合って決める、などなど。
その一環として、アポ取りは自分たちでやる、というのがあった。
そう、これはタイトル「夢と理想と現実と」の話につながる。
私の夢は、将来自分一人で海外に行って、見たいものを見ることだ。
これだけじゃないけど、夢のひとつ。
それを実現するために、今回の渡航を通して、1人で海外に行く力を身に付けたかった。
その、力を身に付けられた状態が、今回の渡航の「理想の姿」だ。
でも現実はどうだ。
失敗も良い経験、必ず財産になる。
そういわれればそうだし、私もそう思う。
でも、ただ挑戦して失敗するだけなら、1人でやるのと何ら変わりがない。
誰かが見ていてくれる傍で失敗するのと、1人で失敗するのでは、失敗の種類が違う。
経験者は、その経験から、失敗しそうだなとわかる。
それを挑戦者に伝える。
挑戦者は軌道修正をする。
そうして、理想の近似にたどり着く。
その近似の状態で、理想にアタックしていく。
私は、経験者のもとで学ぶメリットは、近似に的確にたどり着いていくことができるってところにあると思う。
自分でうんうん悩みながら、時間をかけて近似に近づいていく、それも重要。
でも、それはひとりでやれる。
だから、経験者に見守られながらやることではない。
私はそう思う。
何が言いたいかわかんなくなってきたけど、もう1つ考えたこと。
さっきのことを悶々と考えているときに、旅と旅行の違い、みたいなツイートを見た。
旅行は、ここ行くよ、ついてきてね、みたいな、枠組みが決まっているもののこと。
ツアーみたいなものに参加すること。
旅はその逆で、一から自分で、どこにどうやって行くかとか考えて作り上げていくもののこと。
を指すらしい。
旅行と旅の比較は、高校生のとき参加した、フィリピンボランティアと、今回のプログラムの比較と似ているな、と思う。
私が高校生のとき参加したフィリピンでのボランティアは、参加前から形が出来上がっていた。
「この日の何時にここに行って、次に何時にここに行って…」というような。
私たちは、天候がめちゃくちゃ悪いとかいうことがない限り、そこに書いてある活動をすることができる。
「行きたい」と思った場所に、必ず行ける。
ただ、全部行先が決められているから、必ずしも毎日自分が行きたい場所に行ってやりたいことができるわけではない。
今回のプログラムは、行先を自分たちで決めれるから、自分が行きたい場所に行ってやりたいことができる確率が上がったように見える。
でも、その先のアポ取りやうんぬんかんぬんで、いけなくなる可能性だってある。
これを考えたら、もしかしたら、全部最初から決まっていた方が、やりたいことをやれる確率は高いのかもしれない。
私はいままで、この「毎日やりたいことじゃない」ってところにばかり目がいっていて、ツアーより自分で組んだ方が有意義なんじゃないか、と思っていた。
でも、参加を決める前に「行きたい」と思っていたところに必ず行けるって、ほんとはすごいことなんだな。
1人だったらそうはいかないだろう、行きたいところに行けなくなることはざらにある。
あ、でも、渋々行った代わりの場所で、思わぬ発見をしたりする。
結構私はそれが好き。
要は自分が何をとるかってことだ。
「ある程度の制約があっても、最低限のことは必ずできる」 か、「リスクを冒しても自分の欲望にどん欲になる」か。
どちらがいい、悪い、ではない。
その時の気分とか目的とかによって、どっちをとるかは変わってく。
最近ただ自分の感情を吐露するだけの文章になっていていかんなぁと思いつつ、今日もひたすら吐き出してしまった。
まあ、行って帰ってこれ読むころには笑い話になってるだろうな、いつもそうだもん。
でもだからこそ、この気持ち忘れちゃダメだって思うからちゃんと残すよ。
おやすみ世界、またね。