国立大AOで入ったら

AOで大学へ入学したら、その後の人生どうなるか?

「完璧でなければならない」は快感を得るために必要なものだった。

 

challenge55.hatenablog.com

 

どーでもいーけど、 これめっちゃ読まれてるの笑う。

「意識高い系不真面目」ってワードがめちゃ頭に残るよあぁ。

このワードがもっと、あの記事に書いてあるような、いい意味で使われるようになったらうれしい。

 

 

今読んでいる本 

というわけで今日のお話。

来週始まるインターンシップのために、宿題が出ました。

それが9月3日の出来事。

そしてその宿題というのが、こちら。

「自己肯定感、または自己効力感に関する専門書を3冊読んでくること」

以下私が選んだ本たち。

https://www.amazon.co.jp/セルフ・エフィカシーの臨床心理学-坂野-雄二/dp/4762822639/ref=sr_1_2?adgrpid=52799804305&gclid=Cj0KCQjw5MLrBRClARIsAPG0WGybrmqaaZMldji5qeTvzxUVqqpa330CXcWX1zUOBfG84axmQNhIEskaAgG8EALw_wcB&hvadid=338539432213&hvdev=c&hvlocphy=1009466&hvnetw=g&hvpos=1t1&hvqmt=e&hvrand=17987362179926341242&hvtargid=kwd-333108312889&hydadcr=3633_11124972&jp-ad-ap=0&keywords=激動社会の中の自己効力&qid=1567691751&s=gateway&sr=8-2

 

https://www.amazon.co.jp/自尊心の育て方―あなたの生き方を変えるための-認知療法的戦略-マシュー・マッケイ/dp/4772416110/ref=sr_1_12?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=自己肯定感の育て方&qid=1567691808&s=gateway&sr=8-12

 

https://www.amazon.co.jp/激動社会の中の自己効力-アルバート-バンデューラ/dp/4760822836/ref=sr_1_1?adgrpid=52799804305&gclid=Cj0KCQjw5MLrBRClARIsAPG0WGybrmqaaZMldji5qeTvzxUVqqpa330CXcWX1zUOBfG84axmQNhIEskaAgG8EALw_wcB&hvadid=338539432213&hvdev=c&hvlocphy=1009466&hvnetw=g&hvpos=1t1&hvqmt=e&hvrand=17987362179926341242&hvtargid=kwd-333108312889&hydadcr=3633_11124972&jp-ad-ap=0&keywords=激動社会の中の自己効力&qid=1567691751&s=gateway&sr=8-1

 

専門書じゃないじゃないか!というご指摘がありそうですが、目をつぶっていただきたい。

私の中では専門書なのだ。

でも、3冊目の本は我ながらいいチョイスだと思う。

1冊目は読了。

ただいま2冊目3分の1読了です。

ちなみに、3冊目は図書館になかったため、本屋で注文しました。

明日に届くのでそこから読書開始!って感じ。

でもでもね、明日18旅行するんだよね、控えめに言ってピンチ。

 

 

なぜ「完璧でなければならない」と思うのか?

まあ、そんな話は置いておいて。

ちょっと面白いなと思ったのでアウトプットしておく。

2冊目の本に書いてあったことなんだけどね。

タイトル通り。

自尊心の低い人はなぜ、「完璧でなければならない」と思うのか、という話。

ここでいう完ぺきっていうのは、今の自分では到底達成できないような高い理想を掲げるってこと。

例えば、今の私が、「英語とフラ語ぺらっぺらで前期の成績全部秀でなければいけない」って自分に課しているような状態。

今の例はちょっと過激すぎたけど。

こういうことって誰でも経験したことあるんじゃないかな?と思う。

その程度の差はあるにせよ。

それはなぜ?というお話。

 

端的に言うと、「たまにその理想を実現させることができたとき、めちゃ良い気分になるから」らしい。

ごもっともだ。

 

たとえば…

例えば、ある女の子が「すべての教科で100点を取り、運動もできて、いいこでなければならない」と自分に言い聞かせていたとする。

完璧にならなければならない、と思ってるってこと。

普通に考えれば、全教科で100点を取るなんてどだい無理な話だし、運動ができて、という部分はよいとしても、「いい子でいる」なんて抽象的過ぎるし。

無理だよね。

だから、テストで90点取っても「私は駄目だ…」となるし、

自分より運動ができる人と比較して「私は駄目だ…」となるし、

ちょっと親の機嫌が悪かったりすると、「私がいい子じゃないからではないか?私は駄目だ…」となる。

ちなみに、3つ目のような、自分のせいではないかもしれないのにまるで自分がその現象を引き起こしたかのように考える、その思考スタイルのことを「自己関連付け」というらしい。

とにかく、こうやってどんどん自己肯定感が下がっていく。

 

 

なぜやめれない?

これだけ見てると、完璧主義とか高い理想とか、そういうのは害しかないわけで、じゃあやめれば?となる。

でも、やめれない。

なぜか。

そう、たまーに、ごくたまーに、偶然全部がうまくいってしまうことがあるから。

テストが簡単で100点が取れてしまって、

自分より運動できる子がケガして体育休んで自分がすっごい活躍できてほめられて、

親の機嫌がよくて「自分今日いい子にできてる!」と感じられて。

なんかそうやってうまくいってしまう日があるから。

その時一瞬感じる快感、そのために、女の子はずっと高い理想を掲げ続けてしまう、らしい。

ちなみに、このようなものを「変動比率強化スケジュール」と呼ぶ。

変動比率強化スケジュール、とは、簡単に言えば、快感をいつ得られるかはわからないような、そういうもののことを指す。

んー、むつかしいんだけど、

女の子が理想を高く設定して、それが完璧に実現できるとき、それは一定の間隔で訪れるわけではない。

例えば今日、女の子が理想を実現して快感を得たとする。

次完璧に理想が実現するのは、明日かもしれないし、1か月後かもしれないし1年後かもしれないし、もしかしたら実現しないかもしれない。

でも、いずれ実現する、ということと、実現したときに快感を得られる、ということがわかっているから、女の子は「理想を高く掲げる・完璧主義でいる」ことをやめることができない。

本の中ではスロットマシーンが取り上げられていたかな。

いつか当たるかもしれない、と思ってコインを入れ続けてしまうようなイメージ。

だからね、やめれないんだって。

例えばさ、5回に1回当たるってなってて、5回やっても当たらなかったらあきらめれるじゃん。

でも、1回で当たるかもしれないし、100回やっても当たらないかもしれない。

「もしかしたら次…」を何回も繰り返して、疲れ切ってしまうまでやめられない。

それと同じことが、到底実現できなさそうに見える理想を掲げる人にも起こっているらしい。

「明日は達成できるかもしれない、そしたら快感が得られる」

これをずうっと、無意識に思いながら過ごしているらしい。怖い。

 

 

(余談)

あと、ちょっと逸れるけど、もうひとつ高い理想を掲げてしまう理由がある。

それは、「高い理想を掲げることによって、自分の理想を叶えることができるから」らしい。

例えば、女の子が大学入試で「○○大学に合格しなければ私には生きている価値がない」というように考えたとする。

人間には、「価値のある人間でいたい」という欲求がある。

だから、必死に勉強する。

で、○○大学に合格する。

そのとき、女の子はこう考える。

高い理想を掲げることは目標達成に有効な手段だと。

それで、高い目標を掲げがちになるらしい。

なんかこの話は、自分を高みへもっていく方法としてあるあるな気もする。

手が届くか届かないかくらいの目標を設定してうんぬんかんぬんというような。

まあ、程度の問題なのだろう。

 

 

 

まとめ

なんか自分の中では書いてくうちに整理できたんだけどなー、うまく伝えられないってことはまだ理解できてないってことなのかなぁ。

この、さっき紹介した中の2冊目の本は、具体的な自尊心の育て方がめちゃ詳しく書かれている本。

方法から、実践してこんなかんじでした、というような結果まで書いてあるし、ちゃんと用語も説明されてるし。

初心者でもうなりながら読み進められるレベルだから、ぜひ興味持った人読んでみて。

で、感想聞かせて笑。

 

またね!