国立大AOで入ったら

AOで大学へ入学したら、その後の人生どうなるか?

強く在るということ

大学に入る前は、強さっていうのは、どんな逆境の中でもはいつくばってでも進んでいく力のことを指していると思っていた。

最近、少しずつそれが変わってきているな、と思う。

 

這いつくばる力がない時に、素直にそれを認めること。

立ち止まることを選べること。

それも強さだと、大学の後期に学んだ。

 

感情を大切にしながら、それをうまく(自分が生きやすいように)コントロールしていくこと。

自分がやりたいことをやりたいと断言できること。

これも、強いからこそできることなのだと、インターンを通して学んだ。

 

強さとは何なんだろう、と思う。

多分、世の中にはたくさんの強さがある。

それを全部制覇できたら、それは「強い」なのだろうか。

それは違うと思う。

強さとは、その時その時に合った強さをきちんと発揮できるってことなんじゃないか。

進む時は、進む。

止まるときは、止まる。

退くときは、退いてみる。

そういう判断がきちんとできて、そういうことを「強い」というのだろう。

 

強くなりたい。

強く在りたい。

多分これからも思い続けるんだろうな。

でも、いままでとはちょっと違うな。

いろいろな強さがあるんだってことを実感できたから。

色々な形の強さがあるってことを認められたから。

だから、私はこれからいろんな強さを身につけていく。

 

多分私が気づいていないだけで、もっといろいろな強さがあって、

それに出会って、それを認めていくたびに、私はいろんな強さを手に入れて、

しなやかな強さを手に入れることができるんだろう。

 

まだうまくまとまってないけれど、私の中での強さとか、目指したい方向とかが、ちょっと、いや、だいぶ変わったよ、という話でした。

 

またね!

帰国記2

今日無事にホーチミン市についた。

空港はガラガラだった。

荷物を預けるとき、問診票を渡され、記入した。

待合室でも、みんなが2メートル以上離れて座っていた(さすがベトナム

もちろん、全員マスク着用。

中には、2重にしていたり(効果は別として)、ゴム手袋をつけている人もいた。

飛行機も、座席指定しなかったけど、隣に人が来ないように座席決めてくれたのかなぁという感じだった(ひとつ席を空けて、隣に人が座っていた)

 

あと私にできるのは、明日の飛行機に無事乗れることを祈ること、体調を整えることだけ。

最後まで、気を抜かない。

頑張ろう。

 

帰国後も、なんとか無事に隔離生活を送れそうな予感。

2週間、何をしたいか考えてみた。

まずは、インターン生活の整理。

インターン生活というより、この1か月と10日の海外生活の整理。

初めて1か月以上海外にいて、自分の嫌なところ(すぐメンタル崩壊するとことかとかとか)が、いつも頼ってた人が傍にいないからこそ明確に見えてきた。

その辺を特に文字にしておきたい。

メンタル崩壊しかけたけど今は乗り越えれたって思ってる。

崩壊の要因が解決したってのもあるけど、過去のとらえ方が変わったというか、そういうのもあると思う。

だから、そこをうまく整理出来たら、これからの生活でもちょっとは役に立つんじゃないかなぁと思う。

 

英語の勉強したい。

やっぱり、きれいな英語をしゃべれるようになりたいなぁと思った。

で、TOEIC、取りたいしね点数。

だから、TOEICの問題集を一冊買って、やりこんでみようと思う。

進捗状況はまた。

 

あとは、読書。

最近kindleを使い始めて、使いやすくて感動。

Readhubっていう、読書アプリもすごく使いやすくていい感じ。

だから、その二つを使って読書をしていくつもり。

目標は…大きくでて、50冊!笑

でも、単純計算1日4冊くらい読めばいいわけだから、うーん、できるかな…。

 

とりあえず、この3つかな。

これまでのこと考えて、これからのこと考えて。

今までずっと走りっぱなしだった分、たくさん立ち止まって考えたいです。

 

またね!

ベトナムから、帰国記1

順調にいけば、帰国は29日(30日の朝に着く便)

今日から、最難関(?)の帰国について書いていこうと思う。

 

今日のベトナム時間20時ちょっと前。

facebookを見ていたら、こんな文字が目に入る。

「重要:新型コロナウイルス感染症に関する日本政府のベトナムに関する水際対策の強化」

朝、ベトナム渡航レベルが2に上がったという情報を得ており、嫌な予感が。

その予感は、的中してしまった。

 

ベトナムから日本に入国する者に対し、入国後に、検疫所長の指定する場所(現時点では、自宅などが想定されています。)で14日間待機し、日本国内において公共交通機関を使用しないことを要請する。」

(ちなみに、この措置は28日午前0時以降に出発する船や飛行機に適用されるらしい)

 

ついにベトナムにも。

 

私は、地方大学生だ。

広島の(ど)田舎にある大学に通っている。

飛行機は、成田空港に着くのだ。

どうやって、どうやって家に帰れと。

免許も持っていない。

つてもない。

親は愛知にいる。

…詰んだ。

 

早速親に連絡をした。

大騒ぎだ。

ついに出ちゃったか~ムードも少し。

 

親が、成田空港から徒歩で行けるホテルに連絡をしてくれた。

14日間宿泊できないか、と聞くと、そのような受け入れはできないといわれたらしい。

きっと成田空港付近のホテルは、みなそうなのだろう。

 

空港で、14日間泊というのは、あまりにも現実的ではない。

親に迎えに来てもらうことができれば、免許を取っていれば…。

悔やんでも仕方がない。

 

やっとパスポートの所在が分かった矢先にこれだ。

帰国への旅はまだ始まったばかり。

さてどうなる?!

 

自主隔離の様子は、ブログにて発信予定。

折角の2週間外出禁止なのならば、何かしたいなぁ。

本を読む。何冊読もうか。

料理の練習。いいねぇ。

筋トレ。正しいフォームで少しずつ頑張ってみよう。

 

ちょっと話は変わって。

友達に、どうやって広島に帰ろうかなぁと電話で言ったら、「広島に帰ってきても、俺は会わんよ」と言われた。

会わないのではない。会えないのである。

以上。

 

またね!

ビザ延長無事終わりました。

無事家に帰るまでが遠足ですからね!と言われたときの感情に名前を付けるとしたら、どんなになるだろう。

 

今日、今さっき、20日に切れたっきり延長で来ていたかわからなかったビザが延長で来ていたということを知り。

どこにあるかわからなかったパスポートが、何事もなければ明後日手元に届くということが分かった。

早速、その次の日(しあさって)の、帰国のための便を取った。

 

13日から、1週間弱。

長くなるので割愛するが(後日まとめたい)、すさまじく、人生で1・2を争うしんどさだった。

(ほとんど私が作り出したしんどさではあるが)

 

嬉しい。

良かった。

安心した。

これで帰れるんだ。

 

そう思う一方で、

ああやり残した。

きっと期待に添えていないのだろう。

これで本当によかったのか。

まだ終わったわけじゃないだろう、まだ何かあるかもしれないぞ。

そうやって、つぶやく声も聞こえる。

 

まだどうなるかはわからないが、とりあえず終わりが見えてきた。

あとは、堂々と帰るための準備をするだけだ。

正直、今のままだったら、

後半は主にメンタル駄々崩れで方々に迷惑をかけまくったことしか記憶になくて、

本当に何を学んだのか?となってしまいそうな気もする。

 

あるのだ、気づいていないだけで。

学んだことというのは、どんな小さなことでもその時その時でそこに落っこちているのだ。

それに気づくための、思考の訓練期間だったろう、この一か月は。

と自分を鼓舞しながら、あと少し、主に振り返りと自戒の目標設定に時間を使っていこうと思う今日この頃なのであった。

 

またね。

 

 

卒業を振り返って今思うこと

私の学校は本当に特殊中の特殊だったと思う。

全学年26人。

6年一緒。

もれなく担任も一緒。

教室もずっと一緒…ではなかったか。

兎に角、本当に狭い世界だった。

 

想像できるだろうか。

中学2年生の時に大ゲンカした友達と、毎日教室で顔を合わせてなんなら机も隣。

想像できるだろうか。

大っ嫌いな先生に体育を6年教えてもらう気持ち。

想像できるだろうか。

テストの順位なんか殆ど推測できてしまう世界。

 

卒業式の日、やっとこの6年が終わるんだという気持ちでいっぱいだったことだけを覚えている。

みんなで「早く卒業したいね」と言い合っていた6年だった。

もう進学する大学が決まっていたからというのもあるかもしれない。

私には次のステージしか見えていなかったんだと思う。

やっと私は、4年間あこがれ続けた場所へ行けるんだ!

そんな思いでいっぱいで、にっこにこの卒業式だった。

だから私はわからなかった。

どうして隣にいる人は泣いているんだろう。

どうして「早く卒業したい」と言っていたあの子が号泣しているんだろう。

サイコパスでしかない。

でも本当に、この時は不思議で仕方なかった。

 

この時は、気づかなかったのだと思う。

早く終わらせてしまいたい、という願いばかりだったのだと思う。

このあと、長い間「ずっとこの瞬間を漂っていたい」を繰り返すとも知らず。

 

約1か月後、謝恩会というものをした。

先生6年間ありがとう、という会。

その会の2次会で、ふと、きっとこうやってみんなで無邪気に集まるのはこれが最後なんだろうな、と思った。

 

きっとそのとき、もう戻ることはできないんだと実感できた時、私たちの関係は「名前の付けられない関係」に昇華した。

もちろん、くくりとしては「元同級生」なんだろうけど、それはなんか違うね、私とあなたの関係を言い表す言葉ではないよね、みたいな。

だって、高校はもう卒業しているから高校生ではないし。

大学にはまだ入学していないから大学生でもないし。

何の肩書も持っていない私たちが、さも同じ肩書を持った人であるかのようにふるまっている。

私たちは、多分私たち以外のだれにも理解できないであろう肩書を、6年かけて作り上げたのだと思う。

私はこの瞬間から、ずっとその「だれにも理解できないであろう肩書」によって作られた時間に魅せられている。

 

好きだったあの人に、好きだよと告げずに代わりにまたね、といった。

次いつ会えるか約束なんてないのに、私は約束をする代わりにまたねといった。

またね、が約束だったのかもしれない。

次もし偶然、何らかの形で合えたのだとしたら、今日の続きを楽しみましょう。

そんな、「何月何日どこどこ集合ね!」みたいな約束よりももっと深いところで、もっと重たく美しい約束を交わしたのかもしれない。

きっと私はその時、迷いながら、それでもこの形で良いのだと自分を納得させながら、でもきっともっといい方法があるのだろうという後悔も抱えながら、「またね」を絞り出した。

その時の何とも言えない表情は、6年間のどの瞬間より凛としていたんだろうな、と思う。

そう思いたい。

 

私がどうしようもなくバカだったことを知っているあの人も、

私がどうしようもなくおっちょこちょいだってことを知ってるあの人も、

私がどうしようもなく屑だってことを知っているあの人も、

誰にも知られたくないと思って今必死に隠している私を知っている。

私の秘密を持ったまま、でもあの人はそれに気づかず、というかそれを持っているという事実すら忘れて今を楽しんでいる。

それが、不思議でならない。

 

今でも、長期休みの度に集まってご飯を食べる仲の友達がいる。

この春は、旅行に行くらしい。

私は参加できないが。

でも、LINE電話で参加する予定。

私たちは、何でつながっているのだろう。

やっぱり、ただの「中高の同級生」なのだろうか。

もし仮にそうなのだとしたら、少し寂しいな、と思う。

 

そこに、私たちの間にしかないものがあるのだと、信じたいんだ、私は。

 

きっと、別れというものは、それまで積み上げてきた思い出を美しくするんだと思う。

「もっと」を言うことができなくなった瞬間、どんな出来事も、何にも代えられないものとして、自分の中に残っていくのだろう。

慈しむことしかできないと悟った瞬間、初めて過去という概念が生まれるのだろう。

わかる人にだけ、伝わればよい。

別れというものは、人生を美しくしてくれる。

 

またね。

 

近況報告

3月7日。

ベトナムでは新型コロナウイルスの影響が最小限に抑えられていたのと、もう少し滞在してみたいとの気持ちから、ビザ延長を決定。

 

3月13日

パスポートをエージェントへ預ける。

 

現在

ビザ延長できたか、パスポートがどこにあるか、わからず。

 

 

ざっくり書くとこんな感じ。

自分の思考の整理のため、もう少し詳しく書いておこうと思う。

 

まず、ビザの延長を決めた後、ベトナムに来ていた外国人が新型コロナウイルスに感染していたことが分かった。

そこから、外国人感染者がほかにも見つかり、ベトナムの対策が始まる。

ベトナムの対策は見事、迅速で、外国人感染者が見つかった翌日には、私が住んでいたアパートでの検温が開始されたくらいである。

 

そして、順不同ではあるが、ビザ発行の停止、外国人入国禁止、外出時のマスク着用っ義務化(していないと罰金)などなど、様々な措置が取られた。

 

今、ベトナム航空は国際線の飛行機を全便運休している。

これは他人から聞いた話ではあるが、日本を例にとると、このような仕組みなのだそうだ。

  1. 日本→ベトナム便に乗る人の減少
  2. 採算取れなくなる
  3. 運休しがち

私は専門家でも何でもないので、運休と言われたらそうなのか、となる。

それ以上に「どうやって帰ろう?」で頭はいっぱいである。

運のいいことに(?)ベトジェットはまだ飛んでいるらしい。

ただ、チケットの値段が爆あがりしている。

それも、いつまで飛んでいるかはわからない。

 

よく「いつ帰ってくるの?」という質問を受けるが、わからない、と答えるしかない。

なんでも、パスポートがなければ帰ることができないからだ。

チケットを取ろうと思っても、いつパスポートが返ってくるかわからなければ、この日に帰ろう、と決断できないのである。

毎日スカイスキャナーでチケットを調べては、はぁ、とため息をつくばかり。

 

実にひどい。

 

でもまぁ。

たらればをいっても仕方ないのだし、泣いたって時は元に戻らないので(ペコパ風)

あと数日(であってほしい)ベトナムライフを満喫するのみである。

明日は五色そうめん生春巻きを作って楽しもう。

明後日は朝日をビーチに見に行くんだい。

kindleで本を買ったから読もう。

日本に帰ったら弾きたい曲を今から決めておこう。

インターンの振り返り、どうせ一人じゃまともにできないから、社長さんと一緒にいるうちにやってしまおう。

 

と、こんな悟りの境地に至るまで、どれほど取り乱して涙を流したか、その話は無事に日本に帰れてこの話が笑い話になってからのお楽しみ。

 

またね!

私のハッピー

私は、自分で自分のやりたいことを選んで、それをやってる!って実感できた時、「ああ私は今ハッピーだ」って思うらしい。

でもよく「これは本当に私のやりたいことなのかな」って悩む。

そういう時は、ちょっとハッピーじゃない気持ちになる。

傍からいると、だいぶ病んでる人に見えると思う。

 

小さい時から、私の周りには私の意見を尊重してくれる人がたくさんいた。

言わなきゃわからないよ、とよく親に言われていたから、たくさん自分が思っていることを言えるようになった気がする。

自分でちゃんと「これがやりたい」って言えたら、それをやらせてもらえてたな、と今振り返って思う。

 

この一年間、悩んだらこの人に相談する!って決めてる人がいて、その人にいつも言われることがある。

「自分がハッピーになるようにすればいいんだよ。」

散々言われたから、ハッピーという言葉にすごく敏感になった。

この一年は、自分のハッピーって何だろうなぁと考える1年だった気もする。

 

大学一年振り返って、調子の良かった時はやっぱり今幸せだなと感じているときで、それはやっぱり自分のやりたいことをやっていた時だったと思う。

ちょっと違うな。

今、その瞬間自分が一番やってみたいって思ったことをきちんとできていると自分が感じられていた時。

 

まず、やりたいかやりたくないか、より、やってみたい、なんだよな。

自分が本当にやりたいことかはわからないけれど、今一番興味があってやってみたいこと。

やってみた結果、本当にやりたかったことだ!ってなるのかは別として、今この瞬間すっごくやりたいって思っていること。

それをやってみることができるっていうところに、すごく幸せを感じるんだな。

 

次に、そのやってみたいと思っていることにきちんと挑戦できてるって、自分を認めてあげれているときに幸せを感じるかな。

やってみたいことがあるのにそれにうまく挑戦できていないなって自分が感じたら、たとえやってみたいことが明確になっていてもモヤモヤしてしまう。

ハッピーじゃなくなってしまう。

 

 じゃあ次に考えなければいけないことは、私は幸せになるために何をしなきゃいけないかっていうこと。

毎日毎時間なるべくこまめに「今やっていることは本当にやってみたいこと?」って自分自身に聞くこと。

100%の「そうだよ!」が言えること。

それをやれる環境を自分で整えること。

その中に飛び込む勇気を持つこと。

 

やっぱり私はたくさん考えたいな、と思った。

今何やってるんだろう、何をやってみたいんだろう、そういう疑問から逃げない人でありたいのです。

今まで 逃げずに向き合い続けれているということが、私の誇り。

だから、これからもずっとそれを誇れるように、自分のことは自分で決めていきたい。

 

何言いたいんだっけな。