流しそうめん交流会実施に向けて協力してくださった方々のご紹介
インターンのメイン企画、流しそうめん交流会が中止となりました。
理由は、私たちのいるダナンに、新型コロナウイルスに感染した外国人がいたことが確認されたからです。
ここまで、たくさんの人に協力していただきました。
今日は、その方たちの紹介をさせていただきたいです。
準備のお手伝いをしてくれてありがとうございますという気持ちを伝えることが、私に唯一できることなので…。
- 五色そうめんさん
流しそうめん大会を実施するためには、大量のそうめんが必要です。
そのそうめんを提供してくださったのが、五色そうめん様でした。
五色そうめんが竹の中を流れていくの、すごくきれいなんですよ…!(写真がないのが残念です) - XIUcafe さん
私たちが流しそうめんをやりたいといったとき、快く場所を貸してくださったのがXIUcafeさん。予行練習もやらせていただいて、その時には参加してくださっておいしそうにそうめんを食べてくださいました。
当日まで竹を預かってくれたり、スペースづくりのために椅子や机も動かしてくれたり、本当にお世話になりました。
https://www.facebook.com/xiucafe (XIU cafeさんのFBページ)
- 社長さん
インターン先の社長さんです。
インターン生の私にいきなりイベント開催という大役をまかせてくださいました。
至らない点が多くある中、いつもサポートをしてくださいました。
特に印象的なのは、流しそうめんの竹を組み立ててくださったこと!
本当にすごかったです。
- ミンちゃん
日本語がペラペラなミンちゃんには頼りっぱなしでした。
竹のこと、お水のこと、、、たくさんたくさん。
頭が切れるミンちゃんは、会の運営のことでもたくさん助けてくれました。
学生の私に、学生だからという理由で態度を変えたりしないで接してくれる、ミンちゃんはそんな素敵な人です。
- トムさん
浴衣を着るという企画を行うため、浴衣を10着貸してくださいました。
受け取り当日は、体調がすぐれない中、段ボールにたくさんのゆかたと下駄を詰めて待っていてくださいました。 - 西条市で応援してくださっていた皆さん
当日ダナンまで行くよ!と言ってくださっていた方々、応援してるね!と言ってくれた方々…。
愛媛県出身でもなければ愛媛の大学に通っているわけでもない私に、たくさんの応援の言葉をかけてくださいました。 - ダナン大学の方・人材育成センターの方
集客の協力をしてくださいました。
私のつたない話を聞いて、快く協力してくださったのが印象的です。 - 竹を切ってくれた方
流しそうめんは、竹がないとできないですよね…
それを手伝ってくれた方です。
カフェまでもってきてくださいました。
こんなにたくさんの方々に協力していただけて、本当にうれしかったです。
今回はできなかったけど、また新型コロナウイルスが落ち着いたら、リベンジ流しそうめん交流会したいです!
本当に、協力してくださった皆様、応援してくださった皆様、ありがとうございました。
これからも、応援よろしくお願いします!
さあさあ頑張るぞ~
またね!
しんどい!って叫びたくなったらで読んでね
しゃがんでる時期は絶対無駄じゃないよ。しゃがんでるときはそれを責める必要もないよ。下向いてる時に無理に上向く必要もなかったよ。今は少し上を向いて歩けてるよ。今は、またしゃがんじゃうんじゃないかって恐怖と戦いながらそれでも上を向こうとしてるよ。それでいいんだよ。ゆっくりでね。
— Reina (@R52713521) 2020年3月2日
これの付けたし。
自分が今後しんどくなった時のためにどうしても書いておきたくて。
いい時期にも必ず終わりがあるんだから、悪い時期にも必ず終わりはあるし、
終わり方なんか人それぞれでその時その時で違うんだから、わかるわけないんだよ。
これをすれば終わりっていうことはないんだよ。
今回はたまたま、環境を変えたらうまくいっただけで、もしかしたら環境が変わった方がしんどくなったりするかもしれないしね。
だから、一番大事なのは、ただ受け入れること。
ああ今自分はしんどいんだ、今日は動けない日なんだ。
そうやって、認めたくないことも、とりあえず「そっかぁ、ちょっと最近頑張りすぎてたんだね」って受け入れること。
それができたら私は最強だ。
波には逆らえないんだって、今日お話しした人が言っていたよ。
いい波も悪い波もあって、どれにも逆らえないんだって。
そういう時はね、力を抜いてぽかーっと浮くの。
それが一番いいんだって。
インターン始まって半月が経ちまして。
早いもので、インターンするぞーと広島を出てから半月が経ちました。
いかがお過ごしでしょうか。
振り返ってみれば、いろいろなところへ行っていろいろなことをしました。
2月15日、広島から愛媛へ。
2月17日、フェリーで関空へ。
予定の変更の嵐の末、2月27日、ダナンからホーチミンへ飛び、ビンズンという場所へ。
28日、ホーチミンで一泊。
29日、ホーチミンから飛行機でフエという場所へ。
そして今、ダナンにいます。
本当に激動、目の前にあることで精一杯な半月でした。
でも、学びも多くありました。
まずは、自分は想像以上に体力がないということ。
体力がないと、集中が長く持たない。
海外来るたびに思う…体力と精神力には相関関係もあると思う。体力があればあるほど精神力、うまくいかない状況をどうにかする力もある気がする。今からでも遅くないかな、筋トレしようまじで。 https://t.co/47c21HXPLg
— Reina (@R52713521) 2020年3月1日
すぐへばるのなんでだろなーって思うくらいすぐ集中切れるのなんでなんですかね、いや、集中が切れるってよりも私の場合体力がないんですかね。
— Reina (@R52713521) 2020年2月23日
ここで少し書きました。
やりたいことが、体力のせいでできない。
悔しくて、試せることは全部試しました。
荷物はなるべく減らす。
ご飯はいいところで食べてみる。
ホテルの質を確保する。
睡眠時間を確保する。
色々対策しています。
インターン生なのに生意気にも「お昼寝タイムください!」とか「早く上がります!」とか言ってます。でもこれおススメ。やるべきことはホテルで自分のペースでちょこちょこ休憩しながらやったほうが効率いいし、いいものができるから。最近では社長さんも「いっぱい寝てね」と言ってくれます😌
— Reina (@R52713521) 2020年2月26日
次に、毎日の初めにやる課題設定の方法。
その日の活動内容は自分で決めます。
今日何をやるか、ということを、毎日社長さんに提出するという形式。
これがなかなかむつかしい。
最初は、やりたいこと全部書いてて、全部達成できなくて、みたいな。
それもだんだん解消できています。
今後の予定と照らし合わせて、何を今すべきでないか考えるようになりました。
すべきことはたくさんあるから、今やらなくていいことを考えようと。
次に、大きな目標を分解することが大事だということ。
全部の出来事を型にはめて分析できたらすごく強い。現状と、あるべき姿の差分に注目して、その差分を埋めるためにどのような打ち手を持ってくるか。在るべき姿の達成の連続の先に、在りたい姿が待っている。
— Reina (@R52713521) 2020年2月29日
少しの段差をたくさん超えたら目標達成できる。昨日社長に教えてもらったこと。
ここでも少し書いたけど。
大きな目標を分解して、小さな目標をたくさん作る。
小さな目標と、現状の差分に注目して、その差分を埋めるための打ち手(解決策)をできるだけ多く考える。
解決策は、今までの経験によって思いつく数が変わってくる。
だから、いろいろな壁にぶつかる経験が必要なのだという話もしていただきました。
次に、イベント開催のコツ。
参加者が少なかったのと私の体調があまり良くないのとで、延期します!今日中に、いつやるか発表します!
— Reina (@R52713521) 2020年2月27日
やり方は、ZOOMではなくてインスタライブなどを考えています!参加のハードルを下げてみます〜☺️ https://t.co/qWLREUA0pO
こっちに来てからインスタライブを実施しました。
ですが、最初の集客数は0。
前代未聞です。
早速理由を考えてみました。
- 内容に興味がない(内容が伝わり切っていない)
- 純粋に予定が合わない
- イベントでターゲットにしている層にうまくリーチできていない
などが上がりました。
社長さんが、「イベントの目的は、自分たちがイベントを通して伝えたいことをお客さんに伝えることだ」と言っていました。
確かに、酒祭りに参加すればおいしいお酒があるとわかる(=イベントを通しておいしいお酒の情報を伝えている)。
どのイベントも、伝えたいことがあっての集客なのだなと実感しました。
私が今回開催したイベントは、その伝えたいことがブレブレだったので、リーチしたい層も定まらず、その結果宣伝方法もあいまいとなり、結果として集客数が0になったのだと思います。
次回からは、イベントを通して伝えたいことは何か、ということを意識します。
まだまだたくさんあるんだけど、まだわかり切れていない部分もあるので、「なるほど!」と心の底から思えたら書くことにする。
最後に。
ありがたいことに応援してくれる人がたくさんいて、それ以上に心配してくれる人もたくさんいて。ご飯はちゃんと食べれているか、睡眠は取れているか、お腹を壊していないか。そういう当たり前を気にかけてもらえることが、どんなにありがたくて幸せなことか。今日も感謝しながら全力で楽しむ!
— Reina (@R52713521) 2020年2月28日
クラウドファンディングで資金集めをしたということもあり、その期待に応えなければ、と肩に力が入っていました。
これは、良くも悪くも、であり、意識してでもあり意識していないところでも、ということです。
そんな時、私の周りの人は頑張れ!という言葉をかけずにいてくれました。
リラックス!
ほどほどにね。
自然体で。
そんな言葉をたくさんかけてもらったんです。
これが私が今でも頑張れている一番の要素だと思っています。
私らしく。
のびのびと。
これを忘れず、これからあと半月、精進していきます。
これからやる予定のこと。
などなど。
ちょっと「?!」となることが何個か入っているかもしれませんが。
これからも、ぜひぜひ暖かな応援よろしくお願いいたします。
ベトナムに来て1週間が経ちました。
ここ1週間でいちばん嬉しかったことは、カフェの名前が決まったこと。
XIU café Viet-Nhatとなりました。
そして、オンライン飲み会の正式名称も決まりました。
このXIUtalkを使って、オンライン上でベトナムと日本がやり取りできるようにしていこうと考えています。
ちょっとだけおさらいを。
XIU cafe Viet-Nhatは、私たちのベトナムの拠点です。
私たちは、ここからサービスを提供していきます。
XIUtalkというのは、既存のサービスを使って、テレビ電話をしてワイワイしよう、というもの。
ここ1週間でいちばん大変だったのは、すぐ疲れてしまうこと。
集中しようと思っても1時間が限界で、お昼寝をしたり夜早く上がることで活動の時間を捻出しています。
慣れないベトナム語に囲まれながらの生活は、思った以上にくるようです。
でも、日本にいたときはもやもやとしていた企画が、どんどん具体的になっていくのは楽しいです。
何より、自分が一番ワクワクしています。
ベトナムにいる人と日本にいる人が、現地に行かなくてもまるで現地にいるときと同じようにかかわっていくことができる世界を見てみたい。
そのための手段として、XIU cafe Viet-Nhatが使われるようになったら、これ以上に嬉しいことはありません。
今、私の周りには海外に行きたいけどコロナのせいで行けなくなって悔しい思いをしている人がたくさんいます。
私は、XIUtalkがあれば、少しだけその悔しさを減らせると思う。
気軽に、海外の人と交流しようって思えて、しかもそれを今自分がいる場所でやってみることができる世界になってほしい。
現地に行くことでしか感じられないことがあるのも、現地に行かないとできないことがあるのも知っています。
だからこそ、現地に行かなくてもそれを感じられるようになったら、すごいと思いませんか。
私はすごいと思うし、その場に行かなくてもいろいろな国の人としゃべることができるんだったら、もっといろいろ知らない世界が見えてくるんじゃないかと思っています。
ああ、なんか自分でもよくわかっていなくて文章まとまってないんだけど、どこまでできるかやってみたいです。
またね!
自分を高みへ連れていく方法
ここより一段上から今いる場所を見てみたい。
そんな思いが、いつも私を高みへ連れて行ってくれる。
成長するには一種のあきらめが必要なのかもしれない。
諦めというより、受け入れること。
自分が今どこにいるのか、ということを受け入れる勇気が。
だからこそ、私を成長させてくれる人は、今私がどの位置にいるのか、正確に教えてくれる人。
私が今こんな位置にいるということを、受け入れるお手伝いをしてくれる人。
そう考えると、成長って、結局自分でするもんなんだよな。
いくら環境が整えられていたとしても、自分の考え方がゆがんでいたら成長はできないわけで。
成長っていうのは、自分の思考のゆがみに気づくこと、これに尽きるのだと思う。
ブログを通して自分が失敗しながらも挑戦し続けるところを発信したい。
その結果、挑戦するのも悪くないかもな、と呼んでくれた人に思ってもらいたい。
これは、ブログを始めたとき一番思っていたことで、それは今も変わらない。
でも。
相手がいつのまにか成長していた。
その事実を知った時、「よっしゃやってやるぞ!」となるばっかではないんだなと、自分が鬱っぽくなって知った。
その事実が自分を追い詰めて、苦しくなって、できるはずの努力すら放棄してしまいたくなることもあるということを知った。
だから、自分はそういう励まし方というか、そういう人とのかかわり方はしたくないなと思う。
頑張っている姿、がむしゃらに足搔く姿が人を動かすのは、事実。
でもそれだけじゃあ、私のその目標は達成されないのだな。
自分がどんな思考をその都度していて、その結果どのような変化が起きて、いまどのような在り方をしているのか。
それを見える形にするっていうのが、一番のエンパワメントなのかもしれない。
またね。
昔書いた記事1
誰かに話を聞いてほしい。
そう思って、高校の同級生に電話をかけた。
夜の11時。
アポなし電話だったのに、高校のときと変わらないまんまで優しくていっぱい聞いてくれた。
少しだけ落ち着いた。
話を聞いてもらうと、少し心が軽くなる。
話してる途中に「あ、私こんなこと考えてたんだ」ってなる。
話したことをもう一度振り返って、
あの時私はこういう言葉を選んだらもっと伝わってたのかなとか、
本当はそっちじゃなくてこっちの出来事話したかったなとか考える。
自分のこだわりがどこにあるのか、それは自分の話してる内容を振り返ればすぐわかる。
私は人と話すことで、人を鏡にして自分と向き合ってるんだと思う。
いつからだろう、こんなに憶病になったのは。
小学生の時は怖いものなんて何もなくて、知らないことを知るのが楽しくて、できないことができるようになったら嬉しくて。
それなのにいつからか、私には何もないだとか、周りより劣っているだとか、そういうことばかり考えるようになった。
今までは、常に挑戦するものを探していた気がする。
手が届かないだろうといわれているものに挑戦するのが楽しかった。
自分が今持っている力を上回るものに立ち向かう自分に酔っていたのかもしれない。
でも、それってすごく幸せなことだった。
周りの声も評価も関係ない。
自分は自分だ。
自分のやることは自分で決める。
一度決めたら諦めない。
そうやって、自分と戦っていくことが好きだったんだと思う。
周りの人をぎゃふんといわせたい欲もあったけど。
今は、自分じゃなくて周りと戦っている気がする。
自分と戦っていた時は、失敗なんてあまり怖くなかった。
なにくそもう一回チャレンジだ自分を越えてやる、とむしろやる気の源のような。
だけど、周りの目が気になるから、失敗が怖くなった。
今、大学つまらないなとか考えてるけど、多分問題の本質はそこじゃない。
怖いんだ。
大学で学んでいくのが。
学んでいく中で自分の限界を見ることになるのが怖いんだ。
私はこんな人間だった、ということではなくて、私は今こう言う人間だ、ということが書きたい。
私はこんなことに挑戦していた、ということではなくて、私は今こんなことに挑戦している、ということが書きたい。
私は今までこう思っていた、ということではなくて、私は今こういうことを思っている、ということが書きたい。
過去やってきたことにすがるのではなく、今やっていることを自慢できる人になりたい。
これからやることを自慢できる人になりたい。
他人との勝負に勝った、という経験なんて、結局全然自信にならないのかもしれないな。
他人に褒められただとかそういうことで自信を得た瞬間、次挑戦するのが怖くなるんだ。
次ほめられなかったらどうしようって。
でも自分との勝負に勝った、という経験は、一生自分のこと支えてくれる。
あの時越えれたんだから。
そう思えたら、きっと私は強くなれるんだろう。
…という文章を書いていたらしいです。
なるほど。
今の私は、自分と闘ってる気がします。
だから楽しいのかー。
またね。
すごいかすごくないか、それより楽しいか。
「すごいねぇ」って言われるのが好きで、そのために頑張っていた時期があった。
中学校の時検定を頑張っていたのは、卒業式の時に症状をもらうためだったし、
勉強頑張っていたのも、きっとすごいねぇって言われたかったからだと思う。
負けず嫌いな自分は、すごいねって言われるとすっごくうれしかったんだなぁ。
少したって、すごいねぇって言われるともやもやするようになった。
褒められてるのは嬉しいのに。
それだけで自分のことを評価されているんじゃないかなぁと思うようになった。
それから、すごいねぇには共感の気持ちがないのだと思った。
すごいねぇ、の後、相手の気持ちがプラスの方向に動くことはあまりないっていうことを知った。
すごいねぇ、の後には、やっかみや嫉妬や、なんかそういうどす黒い何かが残るか、無関心っていう一番悲しいものが残るんだろうと思うようになった。
それから、すごいねぇって言われるのが少しだけ嫌になった。
今は、2種類のすごいねぇがあるんだって思ってる。
ひとつ目は、さっき言ったみたいな、どす黒い、すごいねぇっていうやつ。
もうひとつは、良い「すごいねぇ」で、この存在は最近知ったの。
「すごいねぇ」って、自分に向かって自分で使うと楽しくなれるんだなぁって。
今日は、こんな「すごいねぇ」、を使ってみた。
例えば、
公告最後まで作れてすごいねぇ、とか。
英語でメール書いててすごいねぇ、とか。
Googleカレンダー使えるようになってすごいねぇ、とか。
自分のことを認められてるって思えるからだと思う。
自分に向かって「すごいねぇ」が使える人は、自分のことをちゃんと認められている人なんだと思う。
自分のことを認められるようになると、楽しくなってくるのだと思う。
だから私は、私を楽しませるために「すごいねぇ」を使いたいなぁと思う。
残念なのは、他人には「すごいねぇ」の魔法が使えないってことだ。
だって、他人が自分のことを認めてくれているのと、自分が自分を認めているっていうのは、やっぱり違うから。
他人からもらったすごいねぇは、一瞬楽しくなるかもしれないけど、ずっとは楽しい気持ちにさせてくれない。
もっと欲しくなって、そのためにどんどん自分がなくなって、どんどんどんどん苦しくなって、最後には「すごいねぇ」って言葉を嫌いになってしまうと思うな。
私みたいにね。
だからね、自分に魔法をかけれるのは自分だけなんだよ。
結局ね、自分が変わるしかないんだね。
私は変われるかなー、きっと変われるね。
ずっと同じではいられないもんね。
ああ、明日も楽しもうっと。
またね!